レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/12/01
- 登録日時
- 2015/01/16 00:30
- 更新日時
- 2015/01/16 00:30
- 管理番号
- 滋2014-0082
- 質問
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解決
彦根藩は甲冑・旗幟など軍器がすべて赤(朱)色に統一された「赤備え」であるが、その由来を知りたい。
- 回答
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『彦根藩士の甲冑』によりますと、「「赤備え」の由来については『甲陽軍艦』(こうようぐんかん)『井伊年譜』『井家軍記』(1・2・3)に詳しい。その内容は大略同じで、およそ以下のようなものである。天正十年(一五八二)、徳川家康は、家康近侍の士である木俣守勝(きまたもりかつ)、西郷正友(さいごうまさとも)、椋原政直(むくはらまさなお)の三人と、甲斐武田信玄の遺臣の一条信龍(いちじょうのぶたつ)、山県昌景(やまがたまさかげ)、土屋昌恒(つちやまさつね)、原昌勝(はらまさかつ)の四隊の士七十四名、関東の浪人四十三名、都合百十七名を井伊直政(いいなおまさ)に与えた。この時に家康は、武田家一の家老で武勇に秀でた山県昌景の兄飯富虎昌(おぶとらまさ)が用いていた「赤備え」をならうように直政に命じたという。」とあります。
なお、上記の家康近侍の士のうち西郷正友は、『井伊軍志』では「西郷藤左衛門正員(正友)」、『井伊の赤備え』では「西郷正員(さいごうまさかず)」と記載されています。また、椋原政直も、『井伊軍志』では「椋原次右衛門正直」、『井伊の赤備え』と『新修彦根市史 第2巻 』では「椋原正直(むくはらまさなお)」と記載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 1 彦根藩士の甲冑 彦根城博物館∥編集 彦根市教育委員会 1996年 SB-7551- 96 p.17
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2 井伊年譜 2 功力 君章∥著 滋賀県立図書館(制作) 1987年 5-2851-2 -
3 甲陽軍艦 下 磯貝正義∥校注 服部治則∥校注 新人物往来社 1987年 2-3991-イ p.462 -
4 井伊軍志 中村達夫∥著 彦根藩甲胄史料研究所 1989年 S-3951- 89 p.19 -
5 新修彦根市史 第2巻 通史編 近世 彦根市史編集委員会∥編集 彦根市 2008年 S-2151-2 p.9 -
6 赤備え 井伊達夫∥著 宮帯出版社 2007年 S-7551- 07 p.77-79 -
7 井伊の赤備え 彦根城博物館∥編集 彦根城博物館 2003年 S-7551- 03 p.30 -
8 彦根藩朱具足と井伊家の軍制 中村達夫∥著 豊会館 1970年 S-3951- 70 p.61-62
- キーワード
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- 赤備え
- 軍器
- 彦根藩
- 井伊直政
- 山県昌景
- 飯富虎昌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000166217