レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2014/10/10 13:41
- 更新日時
- 2015/11/15 16:53
- 管理番号
- 若松:一般 礒村2
- 質問
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解決
昔、芦屋は「芦屋千軒・関千軒」と言われていた。その芦屋千軒があった場所を知りたい。
- 回答
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江戸後期の文政・天保年間(1818~43年)の頃、芦屋を国内交易の基点とし、伊万里焼を盛んに仕入れ、それを筑前焼と称して日本全国に売りさばいた芦屋商人を、旅行(たびゆき)商人と呼んだ。その旅行商人たちがもっとも盛んだったのは文政・天保期(1818~1843)で、その当時芦屋は「芦屋千軒・関千軒」と云われるほど下関と同格の扱いを受ける賑わいだった。
「芦屋千軒とは、江戸時代に栄えた芦屋町、唐津街道・芦屋宿のことを指すので、芦屋宿周辺の地図を紹介。現在の地図と比較したいとのことだったので、唐津街道の地図と現在の道路地図を提供した。
「街道と宿場町 アクロス福岡文化誌」の88頁に、芦屋千軒があった場所について詳しく記述があったので、こちらも提供して調査終了とした。
- 回答プロセス
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まず地名辞典で「芦屋村」を探し、江戸時代のどのあたりでそう呼ばれていたかを確認。
芦屋町誌の中で、髙山彦九郎が筑紫日記に「遠賀川を渡る。百二十五間。右の方垂間野(たるまの)の橋の跡坤に渡る。芦屋に橋本とて有。橋杭も有と伝ふ。渡りて芦屋町也千軒」と記述しており、この日記から江戸時代に繁栄していた町、芦屋町を指すことが判明。正確には芦屋宿周辺なので、唐津街道の資料をあたった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 「角川日本地名大辞典 40 福岡県 」「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1988.3 , ISBN 4-04-001400-6 (p111)
- 「芦屋町誌 増補改訂」 芦屋町誌編集委員会/編集 芦屋町役場 1991.6 (p258)
- 「唐津街道 豊前筑前福岡路 (九州文化図録撰書5)」 図書出版のぶ工房/編集 図書出版のぶ工房 2006.11 (p74,p80)
- 「ライトマップル 福岡県道路地図 3版」 昭文社 2012 (p34)
- 「街道と宿場町 アクロス福岡文化誌」 アクロス福岡文化誌編纂委員会/編 アクロス福岡文化誌編纂委員会 2007.1 , ISBN 4-87415-617-9 (p88)
- 「私の筑豊物語」玉井 政雄/著 歴史図書社 1980.7 (p88 高山 正之の日記の記述あり。)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000160745