レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/09/19
- 登録日時
- 2014/07/11 00:30
- 更新日時
- 2014/07/15 13:02
- 管理番号
- 所沢所分-2014-002
- 質問
-
解決
石川啄木の「不来方のお城の草に~」ではじまる短歌の不来方(こずかた)とはどういう意味か。
- 回答
-
この短歌は、「一握の砂」の「煙(一)」の中の一首で、『啄木歌集』(石川啄木/著 偕成社)に、不来方(こずかた)のお城とは、「盛岡城、別名を不来方城とよばれた城の遺跡をさす」という記載があります。
その他に、以下の資料に記載があります。
〇『石川啄木事典』 国際啄木学会/編 おうふう 2001年
〇『日本名歌集成』 秋山虔/[ほか]編 学灯社 1988年
〇『啄木歌集全歌評釈』 岩城之徳/著 筑摩書房 1985年
- 回答プロセス
-
1.所蔵資料の内容確認
“不来方”の語句を確認
×『広辞苑』 岩波書店 2008年
×『日本語大辞典』 講談社 1989年
“~のお城”という表現から、地名と推測
×『市町村名変遷辞典』 東京堂出版 1990年
×『地名語源辞典』 山中襄太/著 校倉書房 1968年
「不来方のお城の草に~」ではじまる短歌の捜索
〇『啄木歌集』石川啄木/著 偕成社 1980年
「一握の砂」「悲しき玩具」が収録
p.49「一握の砂」、「煙」の(一)内の8首目の短歌が該当
「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」
その一つ前の首に“かの城址(しろあと)”という言葉がでてくる。
“不来方の城”と“かの城址”に注釈がついており、2つは同じものを指していることが分かる。
p.201「かの城址=盛岡城、別名を不来方城とよばれた城の遺跡をさす。十六世紀末に南部藩の居城としてつくられ、現在は公園となっている」と記載あり。
〇『石川啄木事典』 国際啄木学会/編 おうふう 2001年
p.300~301 「不来方城址(こずかたじょうし)」の項目あり。「盛岡藩の南部氏居城跡の別称。ー(中略)ー不来方(こずかた)は南部氏築城以前の古い地名である。この名は啄木の1910年(明43)12月刊『一握の砂』の次の歌により広く知られるようになった。 “不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心” ー(中略)ー「不来方」の名の由来は、この地を荒らした鬼が取り押さえられ、もう来ないと約束したという伝説に因むとされるが、その他、徒渉地点の「越し川」、小さい丘の「小塚田」、冠の頂の形「巾子(こじ)形」、アイヌ語のコチ・カタ(川の跡や河畔)など諸説もある。-(以下略)」 と記述あり。
〇『日本名歌集成』 秋山虔/[ほか]編 学灯社 1988年
p.422 「石川啄木」の項目に短歌の歌意と鑑賞あり。「不来方は慶長年間南部藩主南部利直が築城したもので、盛岡城とも呼ばれ南部藩歴代の居城。-(中略)ー「不来方」の名は、昔清原武則の甥、不来方貞頼がこの地に城を設けた由来による。-(以下略)」と記述あり。
〇『啄木歌集全歌評釈』 岩城之徳/著 筑摩書房 1985年
p.91 短歌と解説あり。「不来方は慶長年間南部藩主南部利直が築城したもので、盛岡城とも呼ばれ南部藩歴代の居城。明治維新後廃墟となり、現岩手公園。「不来方」の名は昔清原武則の甥、不来方貞頼がこの地に城を設けた由来による。」と記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
-
- 啄木歌集 石川啄木/著 偕成社 1980.1 911.168 4-03-850400-X
- 石川啄木事典 国際啄木学会/編 おうふう 2001.9 910.268 4-273-03175-2
- 日本名歌集成 秋山虔/[ほか]編 学灯社 1988.11 911.104 4-312-00010-7
- 啄木歌集全歌評釈 岩城之徳/著 筑摩書房 1985.3 911.162 4-480-82191-0
- キーワード
-
- 不来方
- 盛岡
- 石川啄木
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000155887