レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/07/01
- 登録日時
- 2014/07/10 00:30
- 更新日時
- 2014/07/10 00:30
- 管理番号
- 滋2014-0037
- 質問
-
解決
「臨江庵」は、瀬田城跡に膳所藩の重臣三松氏(禅僧天寧)が建てたものといわれている。このことを資料で確かめられるか。
また、時代や天寧の俗名や系累は分かるか。
- 回答
-
1 臨江庵の成立について
『近江栗太郡志 巻3』や『大津 歴史と文化』によりますと、臨江庵は貞享元年(1684)に僧天寧が瀬田城跡の地を得て、建てたものです。
『膳所・粟津の昔咄 続』は、天寧による臨江庵の建立を宝暦9年(1759)としていますが、享保19年(1734)に完成した『近江輿地志略』という地誌に、すでに臨江庵と天寧のことが書かれていますので、矛盾します。
2 天寧について
人物事典や『膳所藩名簿』などには天寧についての記載がなく、その出自や俗名などは分かりませんでした。
『膳所・粟津の昔咄 続』には、「和尚の後裔三松助十郎はやはり幕末に御用人、百七十石で大砲奉行をしていた。」と書かれています。
また、『近江輿地志略』に、「天寧和尚は浄有君の家臣三松氏の子なり」とあります。
『三百藩藩主人名事典 3』によりますと、膳所藩本多家第三代当主の本多俊次(1595~1668)の法号が、「俊白浄有専光院」です。
- 回答プロセス
-
1 資料により、臨江庵の建てられた年に食い違いがあるが、『近江輿地志略』の成立年から判断して貞享元年(1684)の記述が正しいと考えられる。
2 天寧については、人物レファレンス事典や仏教関係の人名事典等には名前がなかった。
『近江輿地志略』に「浄有君の家臣三松氏の子」とあることから、「浄有君」とは誰なのかを調べた。
『号・別名辞典』では分からなかったが、国立国会図書館「日本人名情報索引(人文分野)データベース」(http://rnavi.ndl.go.jp/jinmei/top.php)で検索したところ、「浄有」とは膳所藩第三代当主の本多俊次の法号の一部であることが分かった(『三百藩藩主人名事典 3』に記載)。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
-
- 1 近江栗太郡志 巻3 栗太郡役所∥編 栗太郡役所 1926年 S-2120-3 p.364-366
-
2 大津 歴史と文化 大津市歴史博物館∥編集 大津市歴史博物館 2004年 S-2111- 04 p.82 -
3 膳所・栗津の昔咄 続 竹内将人∥編 立葵会 1981年 S-3811-2 p.28-29 -
4 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734 p.471-473 -
5 膳所藩名簿 竹内将人∥編 立葵会 1974年 SP-2811- 74 -
6 三百藩藩主人名事典 3 藩主人名事典編纂委員会∥編 新人物往来社 1987年 S-2800- 87 p.291-292 -
1 人物レファレンス事典 郷土人物編 そ-ん 日外アソシエーツ編集部∥編 日外アソシエーツ 2008年 R-2810-ニ -
2 人物レファレンス事典 古代・中世・近世編 [2] せ?わ 日外アソシエーツ編集部∥編 日外アソシエーツ 1996年 R-2810-ニ -
3 人物レファレンス事典 古代・中世・近世編 2(1996-2006) せ?わ 日外アソシエーツ編集部∥編 日外アソシエーツ 2007年 R-2810-ニ -
4 士史残記 近江高等学校びわこ探究部∥編集 近江高等学校びわこ探究部 1994年 S-2500- 94
- キーワード
-
- 臨江庵
- 天寧
- 三松氏
- 瀬田城跡
- 膳所藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000155827