レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/12/15
- 登録日時
- 2014/06/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:30
- 管理番号
- M06041913452295
- 質問
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坂口安吾の「イノチガケ」に登場する“ヨワン・シローテ”という宣教師について知りたい。
- 回答
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①筑摩書房『坂口安吾全集03』に「イノチガケ ―ヨワン・シローテの殉教―」が収録されている。前篇マルチル・マルチレスの数々、後篇ヨワン・シローテの殉教と分かれており、後篇に“ジョワ゛ンニ・バッチスタ・シドチ”という人物がに登場する。その人物が長崎奉行で取り調べを受ける場面で、「取り調べは一時間半つゞいたが、結局ローマカトリック教司祭ヨワン・バッティスタ・シローテといふ氏名が分かつた程度であつた。氏名の訛は白石も同じやうに聞き違へて、結局彼は日本の記録にヨワン・バッティスタ・シローテといふ氏名を伝へることゝなつた」とあり、「ジョワ゛ンニ・バッチスタ・シドチ」(201p)と「ヨワン・シローテ」が同一人物であることがわかる。
②『岩波西洋人名辞典』(岩波書店 1981刊)で「シド~」で引くと、「シドッティ」(Sidot'ti,Giovannni Battista)の項で該当人物の簡単な経歴がある。それによると「1668-1715.12.15.イタリアのイエズス会宣教師.シチリア島に生る.早くから日本伝道を志し,中国に赴き特使トゥルノンに随行し(1703),ジェノヴァから乗船,ポンディシェリを経てマニラに渡り(04),日本語を学んで大隅の屋久島に到着(08:宝永5),捕らえられて長崎に送られ,約1年入牢,ついで江戸に送られ,小石川の宗門改所(吉利支丹屋敷)に監禁された(09).新井白石は自ら彼を訊問して,宗教,歴史,天文,地理など諸般の事を尋ねて《采覧異言》や《西洋紀聞》を著し,洋学の緒を作った.監禁7年後牢死.」とある。
③『来日西洋人名事典』(日外アソシエーツ 1995刊)では、「シドッチ」の項に②とほぼ同様の経歴があり、関連文献の紹介もある。
④『世界伝記大事典 世界編5』(ほるぷ出版 1980刊)では「シドッティ Sidotti」の項で、更に詳しい記述がありシドッティの姿を描いた図もある。〔参考書〕として新井白石の“西洋紀聞”と、吉野作造の“新井白石とヨワン・シローテ”についての記載があった。
所蔵資料で“シドッチ”或いは“シドッティ”に関する資料は次のものがあった。
⑤新井白石著、宮崎道生校注『新訂西洋紀聞』(平凡社 1968)
⑥吉野作造『吉野作造選集 11開国と明治文化』(岩波書店 1995)に「新井白石とヨワン・シローテ」収載
⑦クロドヴェオ・タシナリ『殉教者シドッティ』(ドン・ボスコ社 2012)
⑧古居智子『密行 最後の伴天連シドッティ』(新人物往来社 2010)
⑨垣花秀武『奇会新井白石とシドティ』(講談社 2000)は第三章渡来・変転・順応、第四章一生の奇会で、新井白石とシドッティの出会いとその後の経緯が描かれている。
雑誌の文献では⑩マルチェルロ=ムッチョーリ「新井白石とジョバン=バッティスタ=シドッティ」(日本歴史 第159号 1961,9)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 小説.物語 (913 9版)
- 参考資料
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①坂口安吾『坂口安吾全集03』筑摩書房,1999,574p.参照はp163-218.
②岩波書店編集部『岩波西洋人名辞典』増補版,岩波書店,1981,1962,282p.参照はp630.
③武内博編著『来日西洋人名事典』 日外アソシエーツ,1995,700p. 参照はp.179.
④『世界伝記大事典』 ほるぽ出版,1980,505p. 参照はp.15-16.
⑤新井白石『西洋紀聞』 平凡社,1968,476,5p.
⑥吉野作造『吉野作造選集』 岩波書店,1995,388p. 参照はp.3-31.
⑦クロドヴェオ・タシナリ『殉教者シドッティ』 ドン・ボスコ社,2012,182p. 参照はp.1-80.
⑧古居智子『密行 最後の伴天連シドッティ』 新人物往来社,2010,318p.
⑨垣花秀武『奇会新井白石とシドティ』 講談社,2000,426p. 参照はp.235-375.
⑩マルチェルロ=ムッチョーリ「新井白石とジョバン=バッティスタ=シドッティ」『日本歴史』第159号,1961.9,p.58-68.
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①坂口安吾『坂口安吾全集03』筑摩書房,1999,574p.参照はp163-218.
- キーワード
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- シドッティ,G.B.
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2006041913492552295
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000154773