レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年5月20日
- 登録日時
- 2014/05/22 20:18
- 更新日時
- 2019/11/27 13:41
- 管理番号
- 中央-1-00750
- 質問
-
解決
「明月記」で承久2年2月13日(藤原定家と後鳥羽上皇がけんかしたという内容)と建保元年1月29日の原文または訳文が読みたい。
- 回答
-
『訓読明月記 第3巻』 藤原 定家/著 河出書房新社 1978
p235 建保元年1月29日の記載
『列聖全集 宸記集 上巻』 列聖全集編纂会 編 列聖全集編纂会 1917
p254 承久2年2月13日の記載あり
(2017年6月20日 情報提供があったため追記)
東京大学史料編纂所データベースで
公開されている下記データベースでの検索結果から『大日本史料』の
画像を確認した
東京大学史料編纂所 http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/
データベース
http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html
大日本史料総合データベース
【管理番号】 020100102710
【編/冊/頁】 4編15冊396頁
【綱文和暦】 承久2年2月13日(12200020130) 1条
【綱文】 内裏和歌御会、
【区分】 大日本史料
【事項】 和歌会
【備考】 01
p.396~
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/0415/0396?m=all&s=0396
【管理番号】 020100085958
【編/冊/頁】 4編12冊255頁
【綱文和暦】 建保1年1月29日(12130010290) 1条
【綱文】 従三位平時実薨ず、
【区分】 大日本史料
【備考】 01
p.255
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/0412/0255?m=all&s=0255
また、国立国会図書館デジタルコレクションでも画像が公開されている
国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/
明月記 第2 藤原定家著 国書刊行会, 1912
p.246
建保元年1月29日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991254/126
下記の論文も公開されている
後鳥羽院と定家 :「煙くらべ」の歌の真意
杉浦 一雄
千葉商大紀要 50(1), 102-118, 2012-09
http://id.nii.ac.jp/1381/00002419/
- 回答プロセス
-
『訓読明月記』藤原 定家/著 河出書房新社 1978 第1巻~第6巻を確認。
『訓読明月記 第3巻』 藤原 定家/著 河出書房新社 1978
p235 建保元年1月29日の記載
『訓読明月記 第4巻』 藤原 定家/著 河出書房新社 1978
承久元年はあるが2年はなし
他の出版社の明月記を確認する
『明月記』全8巻 ゆまに書房 2005
建保元年はあるようだが、承久2年はなし
『明月記研究提要』 明月記研究会/編 八木書店 2006
p20 「明月記」原本及び原本断簡一覧に承久2年はなし
p137 承久2年の年表で、”この年より元仁元年まで「明月記」記事を欠く”とあり
『「明月記」をよむ 』 山中 智恵子/著 三一書房 1997
p249 承久2年(1220)2月13日の出来事の記載
”内裏和歌会に定家が詠進した(略)述懐の歌が後鳥羽院の逆鱗に触れ、勅勘される”とあり
参考文献は検索したがヒットせず
『後鳥羽院』 丸谷 才一/著 筑摩書房 2013
p217-218 に承久2年の出来事は書いてあるが根拠となる文献はなし
『史伝後鳥羽院』 目崎 徳衛/著 吉川弘文館 2001
p116-117 に承久2年の出来事は書いてあるが根拠となる文献はなし
『保田与重郎全集』 保田 与重郎/著 講談社 1986
記載なし
『歌帝後鳥羽院』 松本 章男/著 平凡社 2009
p262-265 承久2年の歌会の記載があり
p265 ”道家の「玉蘂」は3月5日条にしるす。「今暁、院は熊野御幸へ御進発(中略)夜に入り民部卿(定家)来たる。先般、和歌上の禁忌にふれて閉門、よりて、密かに夜陰に来るなり。数刻の言談をへて、深奥に帰りをはんぬ」と。定家が勅勘をこうむった事実をこの文辞が傍証している。”
『藤原定家全歌集 上』 藤原 定家/著 河出書房新社 1985
p437 ”承久2年2月13日、内裏に歌講ぜられるべきよし、もよほされしかば”とあり
p438 ”定家が後鳥羽院の勘気に触れる直接原因となった歌”とあり
p510 ”このため蒙った後鳥羽院からの院勘を赦れぬまま、承久の乱を迎えたと思われる”とあり 「信頼髄脳」からの引用
ほかに「順徳院御記」の文が引用されていて、そこに承久2年2月13日の条などがあるらしい
国立国会図書館デジタルコレクションで「順徳院御記」で検索
『列聖全集 宸記集 上巻』 列聖全集編纂会 編 列聖全集編纂会 1917
p254 承久2年2月13日の記載あり
- 事前調査事項
- NDC
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- 日記.書簡.紀行 (915 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000153664