レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/03/14
- 登録日時
- 2014/04/03 00:30
- 更新日時
- 2022/03/16 11:45
- 管理番号
- 6000015262
- 質問
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解決
千里地域(千里丘陵)を含む豊中市北部と竹との関わりについてわかる本はあるか。「とよなか百景」で千里地域の竹林道が取り上げられているのを見たが、ほかの写真が載っているものがあればなおよい。また、かつては市内各地にタケノコの缶詰を作る工場があったと聞いているので、できればそのことについても知りたい
- 回答
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『目で見る豊中・吹田の100年』『とよなか自然・環境ガイド』『千里の歴史と伝統』などをご紹介した。
2018.4追記 千里地域の竹については、2008年発行の『千里の竹』(吹田市立博物館)が詳しい。
- 回答プロセス
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郷土資料の書架を探し、下記の資料を紹介した。以下、特に注記のない場合は写真・イラストはモノクロ。
『目で見る豊中・吹田の100年』(郷土出版社)p3に「とよなか百景」のサイトのものに似た上新田の竹林道の写真がカラーであり。p49には昭和18年の竹やぶの中での宴席の写真が、p131には吹田市域のものではあるが昭和33年に撮影された筍工場の外観写真と、吹田の山田・佐井寺・春日地域、豊中の上新田地域は京都長岡と並ぶ筍の名産地で、最盛期には青果用以外に缶詰も生産したとの記載があり。
『豊中・吹田今昔写真帖』(郷土出版社)p70「地域を支えた産業とその変遷」には、昭和後半の上新田のタケノコの缶詰工場での作業風景の写真と、タケノコ栽培は地場産業として近隣に知られたが、千里ニュータウン造成で竹林が急減し、昭和とともに缶詰工場も姿を消したとの記載があり。
『ふるさとの想い出 写真集明治・大正・昭和豊中』(国書刊行会)p25「にょっきりのびた竹の子」には、寺内地区の竹薮の写真と、市内では熊野田・桜井谷・上新田・新免(本町)・寺内が竹の子の産出が多かったとの記載があり。
『とよなか自然・環境ガイド』(豊中市)p45には市が設置したたけのこ泥棒を防ぐための看板と新千里東町の竹林のカラー写真があり。p136-137「どんな作物が作られてきたか?」には、有名な千里丘陵のタケノコは江戸時代末期から盛んに栽培され、1932(昭和7)年にピークを記録したとの記載と、明治から昭和(戦前)までの農産物の図があり、桜井谷村・新田村大字上新田にタケノコの絵があるほか熊野田村と桜井谷村が昭和6年頃にたけのこを共同出荷していたとの記載があり。p139には「ニシンで育てた筍(上新田)」として、千里のモウソウ竹は江戸の末から植栽されたもので「21世紀に残したい自然の100選」になるような美林を維持してきたとの記載と、大阪に近い地の利を生かして発展してきた竹林の手入れ法、肥料には北海道産のニシンを使っていたことの記載と竹林のカラー写真があり。
また『千里の歴史と伝統20話』(千里20年まつり実行委員会)p129-136「極上の味だった千里のタケノコ」には、上新田・熊野田・山田などでは米の出来高が悪く、モモとタケノコを作り始めたとの記載があり。上新田は天保年間からで、千里地域のタケノコづくりのピークは昭和15年ごろとのこと。『千里の歴史と伝統 3』(大阪府千里センター)p197-204「極上品『名物銀だけ(筍)』の夢」には、タケノコの朝掘りや熊野田農協の出荷の写真、上新田のタケノコ工場の缶詰用タケノコの写真と、タケノコの収穫や出荷についての農家の談話などがあり。
『写真でみる上新田』(五一会)p3「歴史の概要と村人の生活」に上新田の特産品として筍が挙げられているほか、p5に大正13年の筍の改良指導の写真、p33に昭和33年の筍掘りの写真があり。p21「市場」には、明治7年から12年にかけて筍の生産量が2倍になり、また昭和14年には20倍以上になっていたこと、こうした商品作物を売るために明治中期か後期に市が開かれたと推察されること、昭和18年の廃止後筍市として復活したが竹藪の減少などにより昭和36年に廃止されたことなどの記載があり。
『新修豊中市史』(豊中市)第7巻「民俗」p124-126には桜井谷のタケノコ栽培・南刀根山の千里川付近や野畑でのタケノコ市についての記載があり。p571-576には市内の筍生産量や筍の加工と栽培・収穫、熊野田の缶詰工場についての記載があり。第3巻「自然」p160には「大阪みどりの百選」「日本の自然100選」に千里の竹林が選ばれたこと、p244には豊中市内の明治から昭和にかけての植被の変化と、竹林が明治18年の4.8%から大正12年の7.2%に増加したのは竹の利用価値が高いため(タケノコとして食用にされたり、建築・日用品の材料として)落葉樹林が切り開かれてモウソウチクが植えられたのであろうとの記載があり。第2巻「通史2」p430には下寺内地区の筍缶詰出荷組合の設立と工場新設についての言及、p434には熊野田村における明治44年から昭和9年までの筍缶詰製造の推移の表があり。第1巻「通史1」p686には、天保期に筍の産地である寺内・上新田・熊野田・新免村などが天馬市場の青物売買規制に対して申し出を行ったとの記載があり。また市域の特産物として長興寺・熊野田村などで筍を産出したともあり。第8巻「社会経済」p351には、昭和恐慌期に各村の市場を通じて出荷していた桜井谷村・熊野田村の名産の筍を梅田の阪急百貨店に直接共同出荷して、阪急沿線の筍は新鮮で美味との評判を得たとの記載があり。p396-398には豊中市域の職工5人以上工場(昭和4年・14年末)の一覧があり、「食料品」に筍缶詰工場が載っている。p435-437には戦前期の豊中地域の卸売市場についての記載があり、千里山丘陵地域は粘土質で筍を多く産したため定期的な筍市が開かれ、特に小曽根市と熊野田市が有名であったとの記載があり。
このほか、『豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)p17に千里丘陵の竹林についての記載とイラスト、『豊中市の農業』(豊中市)p36-37・『豊中市の農業の歴史』(豊中市農業祭実行委員会)p27-31に筍の共同出荷などについての記載、『昔の豊中』p16-17に戦前の筍栽培についての記載があり。
また広報誌「グラフとよなか」No.17「豊中市の歳時記」p8-9、No.20「とよなかの暮らし、いま昔」p18・p26、No.26「豊中の自然と暮らし2」p19-21にも竹やタケノコについての記載があるほか、大阪府千里センターが発行していた新聞「千里」連載記事「千里竹取物語」を千里図書館で見ることが可能。
2018.4追記 千里地域の竹については、2008年発行の『千里の竹』(吹田市立博物館)が詳しい。
- 事前調査事項
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竹林保全と環境維持を行っている千里竹の会http://esdtoyonaka.net/simin/simin15/sim15takenokai.htm のサイトは確認済。
また「北摂アーカイブス」で自然/暮らし・出来事の写真を見たが、竹に関する写真はなかった。
- NDC
- 参考資料
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- 『目で見る豊中・吹田の100年』(郷土出版社)
- 『豊中・吹田今昔写真帖』(郷土出版社)
- 『写真集 明治大正昭和 豊中』鹿島 友治/編著(国書刊行会)
- 『とよなか 自然・環境ガイド』大阪自然環境保全協会/編集(豊中市公害対策部公害対策課)
- 『千里の歴史と伝統』北田 順三/編集(千里20年まつり実行委員会)
- 『千里の歴史と伝統 3』北田 順三/文と写真(大阪府千里センター)
- 『写真でみる上新田』五一会/編集(五一会)
- 『新修豊中市史 第7巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修豊中市史 第3巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修豊中市史 第8巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修豊中市史 第2巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修豊中市史 第1巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『豊中の史跡たずね描き』福西 茂/著(豊中市立教育研究所)
- 『豊中市の農業』豊中市市民部産業経済課
- 『豊中市の農業の歴史』編纂豊中市農業祭実行委員会
- 『昔の豊中』婦人学級/編
- 『千里の竹』吹田市立博物館
- キーワード
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- 竹
- 筍(タケノコ)
- 千里(センリ)
- 自然
- 農業
- 缶詰
- 工業
- 歴史
- 豊中(トヨナカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 中学生
- 登録番号
- 1000151758