レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/01/19
- 登録日時
- 2014/02/06 00:30
- 更新日時
- 2014/03/07 11:51
- 管理番号
- 6000014501
- 質問
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解決
夏の高校野球「全国高等学校野球選手権大会」の第1回は大正4年に豊中運動場で行われたと聞くが、その2年前、大正2年(1913年)8月に行われた関西学生連合野球大会についての記事をタウン紙「マチゴト」で見た。この大会に出ていた旧制八尾中学の試合について詳しくわかる本はあるか。
- 回答
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『スポーツは陸から海から大空へ 水野利八物語』に関西学生連合野球大会の大正2年第1回大会の詳細があり。旧制八尾中学は1日目に四条畷中学に15-4で勝利している。
- 回答プロセス
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郷土資料の書架、野球(783.7)の書架を探す。
『大阪府高等学校野球連盟史』(大阪府高等学校野球連盟)には高校野球と前身の中等学校野球大会の大阪府予選の記録があるが、大正4年の「全国中等学校優勝野球大会関西大会」(大阪・奈良・和歌山の予選、豊中球場にて)のものから。
『新修豊中市史 第2巻 通史2』(豊中市)p276-280に大正2年5月の豊中グラウンド造成と6月の米国スタンフォード大と慶応義塾大の対抗試合、10月の朝日新聞社主催の日米大野球戦についての記載はあるが、関西学生連合野球大会についての記載はなし。
Google booksで「関西学生連合野球大会 大正2年」と検索すると、主催した水野利八についての本がヒット。これらを取り寄せ、また所蔵資料を「野球 歴史」で検索して資料の内容を確認する。
『野球ボールに夢をのせて スポーツ産業とスポーツ振興につくした水野利八』(PHP研究所)は児童向けの本だが、p52-62「第1回関西学生連合野球大会」に、現在のミズノ株式会社(当時の名は美津濃商店)の創業者である水野利八が大正2年に豊中グラウンドで大会を開き、この大会が夏の全国高等学校野球選手権大会や春の選抜高校野球大会につながっていった経緯の記載と、第1回大会の写真があり。
『スポーツは陸から海から大空へ 水野利八物語』(美津濃株式会社)付録2「優勝旗物語 関西学生聯合野球大会」には大正2年8月の第1回大会から第12回大会までの詳細があり、p54-56には第1回大会の全試合の結果と出場者名があり。これによると第1日目の八尾中学の対戦相手は四条畷中で6回ゲーム、15対4で八尾中学が勝利している。なおこの大会は対抗戦形式で、トーナメント方式が取り入れられたのは翌第2回大会から。
さらに毎日新聞の記事を調べたところ、2013年8月24日の記事に同じ「豊中運動場 9 中等学校野球、続く熱戦 京都勢の強さ際立つ」のタイトルの記事があり。こちらの内容は「マチゴト」より詳しく、また八尾中学の対戦相手は四条畷中となっていた。
なお、大阪府立中之島図書館に『八尾高野球部史』(八尾高野球部OB会)の内容について問い合わせたが、この大会についての記述はなかったとのこと。朝日新聞大正2年8月2日大阪朝刊3頁、毎日新聞大正2年8月2日大阪朝刊4頁に四条畷中学と八尾中学の大戦の記事があるともお知らせいただいた。
- 事前調査事項
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マチゴトの「豊中運動場100年」の連載の「中等学校野球、続く熱戦 京都勢の強さ際立つ」http://machigoto.jp/news/detail/?art_id=3149 の第1日目の試合結果に、八尾中対八尾中 15-4という試合がある。
- NDC
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- 球技 (783 9版)
- 参考資料
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- 『スポーツは陸から海から大空へ』 美津濃/編
- 『野球ボールに夢をのせて』 佐藤 一美/作 PHP研究所
- キーワード
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- 野球(ヤキュウ)
- 歴史(レキシ)
- 高校野球(コウコウ ヤキュウ)
- 関西学生連合野球大会(カンサイガクセイレンゴウヤキュウ)
- 豊中グラウンド(トヨナカ グラウンド)
- 大正(タイショウ)
- 旧制八尾中学(キュウセイヤオチュウガク)
- 大阪(オオサカ)
- 水野利八(ミズノリハチ)
- ミズノ株式会社(ミズノカブシキガイシャ)
- スポーツ(スポーツ)
- 照会先
- 寄与者
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- 大阪府立中之島図書館
- 備考
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『日本の野球史』(日本野球史刊行会)p16-17「明治45~大正2年」には豊中グラウンドに関する記載はないが、豊中でも試合を行ったと推察されるスタンフォード大・ワシントン州立大のメンバーの写真があり。またp22・24には豊中球場で行われた全国中等野球優勝大会の写真があり。
『彼の人に学ぶ』(富山房インターナショナル)p177にも水野利八が実業団野球大会や学生野球大会を主催した経緯が簡単にふれられてあり。
『県別全国高校野球史』(東京堂出版)p178-191「大阪府」には明治・大正期の中学野球の強豪校や、大正4年の関西学生連合野球大会についての記載はあるが、大正2年の大会についての記載はなし。
『野球を歩く 日本野球の歴史探訪』(草思社)p148-149には豊中グラウンドの第1回全国中等学校優勝野球大会の様子の描写、p164-167には豊中グラウンド跡の解説と豊中市蛍池にある円満寺に墓地のある中馬庚(ちゅうまかのえ、ベースボールを「野球」と和訳)の紹介があり。『不滅の高校野球 上 栄光と感激のあと 草創期-昭和29年』(ベースボール・マガジン社)には明治時代の高校野球・中学野球や大正4年の大会についての記載があり。いずれも大正2年の関西学生連合野球大会については記載なし。
また『甲子園野球と日本人』(吉川弘文館)『大正文化』(講談社)には大正4年の豊中での全国優勝野球大会開催の経緯についてなどの記載はあるが、大正2年の大会についての記載はなかった。
なお後日、『竹村民郎著作集3 阪神間モダニズム再考』(三元社)p423-475「中等学校野球の誕生」にも、大正期の野球を取り巻く状況などについての詳しい記載があり、大正2年の関西学生連合野球大会にも言及されていることが判明した。試合結果についての記載はなかった。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000148901