レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/10/01
- 登録日時
- 2013/11/03 00:30
- 更新日時
- 2013/11/07 13:25
- 管理番号
- 6000013201
- 質問
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解決
第6代大阪市長であった池上四郎についてわかる本はあるか。雑誌「大阪春秋」で紹介されたこともあるとのこと、その記事と、ほかに本があれば見たい。
- 回答
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該当の記事は「大阪春秋」2007年夏号「おおさか異色人物伝」のうちの1つ。また『関一と中馬馨の大阪都市経営』『大阪人物辞典』にも、池上四郎についての記載があり。
- 回答プロセス
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「池上四郎」で所蔵資料をキーワード検索するが該当なし。郷土資料の書架、216(近畿-歴史)の書架を探す。
『大阪市政百年の歩み』(大阪市)p56「池上市長と関助役の就任」に、6代市長池上四郎について、大阪府警察部長を務めたあと、大正2年10月に大阪市長に就任して、大正初期の不況による財政悪化の立て直し・水道の拡張・大阪電燈会社の買収など大きな業績を残し、また大正3年には関一を助役に迎えて、池上‐関コンビにより近代大阪の基礎が築かれたとの記載があり。巻末年表によると、第7代市長に関一が就任したのは大正12年11月。
『日本近代都市の成立 -1920・30年代の大阪-』(松籟社)を調べると、p86などに池上四郎が市長に就任した1913年以降の大阪市の財政状況について、p142などに池上市政の与党についてなどの記載があるが、利用者の求めるものではない。
『関一と中馬馨の大阪都市経営』(同友館)p25-31に、「『大大阪』建設の祖父、池上四郎は会津の人」として、安政4(1857)年に会津若松で生まれてから、12歳で明治維新を迎え下北半島に移住、のちに東京に出て警視庁に奉職し、明治33年に大阪府警部長に就任し、ついで大阪市長となるまでの略歴と、当時の関係者による池上四郎の人となりについての記載があり。
このほか『大阪人物辞典』(清文堂)p66-67に池上四郎の項があり、市政引退後、昭和3(1928)年に朝鮮総督府政務総監に任ぜられたが、翌4年に72歳で没したこと、葬儀は関市長を委員長として盛大に営まれ、墓は四天王寺の近くにあることと、昭和10年に天王寺公園に銅像が建てられ、昭和17年の供出後、市政70周年の昭和34年に再建されたことの記載があり。
また雑誌「大阪春秋」を市内他館から取り寄せて内容を確認したところ、2007年夏号の特集「おおさか異色人物伝」p26-31に「池上四郎 -大阪市第六代市長-」の記事があり、白虎隊少年隊に加わっていたこと、警視庁での役職歴、池上就任までの大阪市政と池上市政、人物像などについての記載があり。天王寺公園の銅像の写真もあり。利用者の求めていた記事はこちらとのこと。
なおこのほか、『大阪市政70年の歩み』(大阪市)p39には池上四郎の顔写真があり、またp39-42に池上市政についての記載があり。
- 事前調査事項
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池上四郎は会津の人で、秋篠宮妃の曽祖父にあたる。天王寺公園に銅像がある。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 関一と中馬馨の大阪都市経営黒田 隆幸/著同友館
- 大阪春秋大阪春秋社
- 大阪人物辞典三善 貞司/編清文堂出版
- 大阪市政70年の歩み大阪市役所
- キーワード
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- 池上四郎(イケガミシロウ)
- 大阪市(オオサカシ)
- 人物(ジンブツ)
- 大正(タイショウ)
- 天王寺公園(テンノウジコウエン)
- 市長(シチョウ)
- 関一(セキハジメ)
- 歴史(レキシ)
- 行政(ギョウセイ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000139938