以下の資料を提示した。
1.『徳川昭武』(須見裕著,中央公論社,1984)
P168(北海道にて)
「到着後。七日間は休養と見えて,付近で釣りをする程度であるが,十七日,今日はラムシャの礼有り,是は大謝の事なり,一,土人のオトナ(酋長)へ面会・・・」
P227
「松戸邸へは,郊外散歩・茸狩り・狩猟・釣りなどのため,多くの人が訪れる。」
P245-P246
「三十ニ年中,慶喜は松戸へ狩猟や釣りに来ること十回にも及び,・・・また,同年七月二十九日,深川の渋沢男爵(栄一は三十三年男爵を受爵した)の養魚場
へ招待されるや「シフサワコイツリキタル三カイカカ」(渋沢鯉釣り来る三日如何)昭武の家扶から「三カヲサシツカイナシ」の返事が打電される。当日は慶喜が自 ら幌馬車を馭し,・・・先方でも昭武も合流し,鯉釣りを楽しんだ後,深川の渋沢邸で晩餐を呼ばれ夜遅く帰った。」
とあり,北海道以外にも,松戸などで徳川慶喜らと釣りを楽しんだと書かれていた。
2.『茨城県史研究 第56号』(茨城県史編集委員会編,茨城県立歴史館史料部県史編さん室,1986年)
P82-P98 「徳川昭武の北海道日記」(須見裕)において,P95,P96に釣りの描写について書かれていますが,使用した道具やどのような釣りをしたかなど
の解説は確認出来なかった。
昭武とともに釣りを楽しんだとされる徳川慶喜について
3.『最後の将軍徳川慶喜』(松戸市戸定歴史館,松戸市戸定歴史館,1998年)
P36に「釣竿 徳川慶喜所用 静岡閉居時代から慶喜は釣を趣味としていた。明治30年以降は松戸をたびたびおとずれて昭武と共に釣を楽しんだ」とし,慶喜
が使用していた釣竿の写真が掲載されている。
4.雑誌『サライ 第10巻第13号通巻212号』(小学館出版,1998年7月2日発行)
「特集 徳川慶喜ら,先人に学ぶ 釣り道楽」とし,P22-P23には徳川慶喜,P24-P25には徳川昭武の特集が組まれている。
徳川慶喜愛用の釣具類や,徳川昭武の釣り日記が紹介されている。
5.『江戸の釣り』(長辻象平著,平凡社,2003年)
江戸初期から幕末にかけての江戸の釣りについてまとめられている。
P218-P219には,徳川慶喜・徳川昭武の釣りについて書かれている。
「最後の将軍となった徳川慶喜も釣りを好んだ。・・・彼は利根川などに足を運んで釣りを始めたが,今度の釣りには仲間がいた。慶喜よりは十六歳年下で,最後
の水戸藩主をつとめた後,隠居して千葉の松戸に住んでいた。実弟の徳川昭武だ。・・・慶喜愛用の釣り道具は,静岡市の久能山東照宮博物館に保存されてい
る。丸竹でできた十本継ぎの竿や浮子,たも網,丸い糸巻き,仕掛け巻き,渋糸,道具箱などである。・・・」と書かれている。
6.『徳川慶喜とその時代展』(徳川慶喜展実行委員会,徳川慶喜展実行委員会,1990年)
ページ付なし。項番135に「釣道具 徳川慶喜所用」として釣具の写真がある。また,「列品解説」において,「慶喜が静岡閉居時代に執心したものに釣がある。慶 喜に仕えた家扶の日記には,釣に関する慶喜の動向を伝える記事が多く散見しており,・・・この釣道具は小箪笥に収納され伝えられてきた慶喜遺愛の品で,釣 竿はすべて継竿で・・・」と解説が掲載されている。
7.雑誌『太陽 第36巻4号通巻449号』(平凡社,1998年4月12日発行)
「特集 徳川慶喜」より,P34に愛用の釣道具の写真が掲載されている。また,P74-P75には慶喜の家扶日記の解説が書かれており,昭武とともに釣りや狩り
を楽しんだ描写が紹介されている。
また,江戸時代の水戸藩関係者の釣りに関する記述としは,
8.『釣具考古・歴史図譜』(小田淳著,叢文社,2004年)
釣具に関する歴史をまとめた本。「近代釣具等の開発に貢献した藩士の末裔」としてP10に「岩崎長太夫 水戸家の能太夫。江戸期に岩崎鉤と称したキス釣に用いる鉤を考案した」と水戸の人物が紹介されている。
9.『覚書 幕末の水戸藩』(山川菊栄著,岩波書店,1974)
P156に,徳川斉昭公夫人の貞芳院について「芸ごとのほかでは魚釣りが趣味で,水戸城に住んだころは奧女中たちを従えて,お杉山の暗い木立のかげで釣糸 をたれている姿がよくみかけられたという・・・」と書かれている。
また,水戸藩士ではないが,江戸時代-明治初期の釣りに関する資料とては,
1.『江戸時代からの釣り』(永田一脩著,新日本出版社,1987年)
P35-P74 「第一章 江戸時代の釣り」
P75-P114 「第二章 明治期の釣り」の明治初期に当たる部分
2.『江戸魚釣り百姿』(花咲一男著,三樹書房,2003年)
江戸の釣り場や様々な釣り方,釣り道具や釣り人の話などがまとめられている。
3.『江戸期の素顔』(藤井克彦著,つり人社,2004年)
P184-P224 「第7章 江戸期の釣り」