レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年06月29日
- 登録日時
- 2013/10/19 16:03
- 更新日時
- 2014/02/22 14:44
- 管理番号
- 島根郷2005-06-003
- 質問
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解決
松江市にあった劇場「えいとくざ」について、「栄徳座」と「永徳座」の2通り表記がみられるが、どちらが正しいのか
- 回答
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当館所蔵資料より、以下の資料を紹介し回答
資料1:p88-90に松江の劇場の変遷について記述あり。「永徳座」の起源は明治時代に松江分(伊勢宮町)の「永楽座」とする。これが明治26~27年に天神町の白潟天満宮周辺に移転する。また大正3年前後に寺町に移転する。「永楽座」から「永徳座」に改名の時期については触れていない。また、座名を「永徳座」で統一している。
資料2:p1308-1311「劇場の変遷」があり。明治20年代に伊勢宮町に「永楽座」があり、明治26年の大洪水で大破し天神町の天満宮へ移転する。明治27年3月14日に「永楽座」を天満宮境内へ移し「栄徳座」と改名する。明治末年に寺町の駅通りに移転する。この資料では、永楽座→栄徳座。
資料3:巻末に年表あり。明治20年に、和多見松江分(伊勢宮)に永楽座が設置(のちに、天神裏に移って「永徳座」に。さらに寺町東林寺東に移転)。明治27年3月に、松江天神裏に永徳座(移転)。この資料では、永楽座→永徳座。
資料4:当時の新聞を確認する。明治27年3月15日付の記事に「栄徳座の開場式」という記事があり。天神境内に建設していた劇場栄徳座が3月14日に上棟式・開場式を行ったという内容。また、大正6年7月15日付の記事に新渡戸稲造博士が7月17日に「寺町栄徳座」で講演会を行うとする。新聞では「栄徳座」となっている。
なお、新聞記事の調査で、明治19年には「永楽座」の興行記事があったので、永楽座そのものの設置は明治19年以前に遡ることができる。また明治20年10~11月に永楽座の劇場建設の記事があるので、伊勢宮町に劇場を建てたのが明治20年頃と思われる。
以上より、質問者へは、資料によって表記が異なること、新聞では「栄徳座」としているが、「永徳座」を名乗っていた時期がある可能性も捨てきれない(未確認)、という内容で回答。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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質問者より:建物は大正6年7月30日に火災で全焼。
- NDC
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- 劇場.演出.演技 (771 8版)
- 参考資料
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【資料1】池野誠/編・著. 島根の演劇 : 人と歴史. 松江市民劇場, 1977.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000627076-00 (当館請求記号 郷貸出772/33) -
【資料2】松江市誌編さん委員会 編. 新修松江市誌. 松江市, 1962.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001042391-00 (当館請求記号 郷貸出217.3/マ62) -
【資料3】山陰中央新報社社史編纂委員会 編. 山陰中央新報百二十年史. 山陰中央新報社, 2003.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004236415-00 (当館請求記号 貴重090.7/54 ※貸出禁止資料) - 【資料4】 山陰新聞 マイクロフィルム
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【資料1】池野誠/編・著. 島根の演劇 : 人と歴史. 松江市民劇場, 1977.
- キーワード
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- 演劇
- 劇場
- かぶき興行
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000139229