レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年7月6日
- 登録日時
- 2013/10/17 16:59
- 更新日時
- 2013/10/30 16:15
- 管理番号
- 中央-1-00609
- 質問
-
解決
埼玉県さいたま市の岩槻にある時の鐘について書かれている資料がほしい。
- 回答
-
以下の資料を提供した。
・『岩槻大百科 二十五周年記念事業』 二十五周年記念事業実行委員会/編集 岩槻地方史研究会 1994
p.147に「卯の刻、午の刻、酉の刻の一日三回鳴っていた」との記載あり。
・『岩槻 城と町まちの歴史』 菊地丕/著 聚海書林 1987
p.69~70に[時の鐘]あり。『新編武蔵風土記稿』によると、当時は、「渋江町の里正某が承りにて、二六の時を報ずることを司れり。」とあって、明け六つ、暮六つには美しい音色が四里四方に響きわたっていた、との記載あり。
・『新岩槻史譚』 田中 午比古/著 田中午比古 1955
p.355~357に「朝六つの鐘をきいて起き、夕六つの鐘をきいて野良からかえる」という記載あり。
・『大江戸時の鐘音歩記』 吉村 弘/著 春秋社 2002
p.186に、「嘉陵紀行」によると辰の刻(午前八時)に鐘が聞こえた、と記載あり。
- 回答プロセス
-
岩槻に関する資料を見てみる。
・『岩槻大百科 二十五周年記念事業』 二十五周年記念事業実行委員会/編集 岩槻地方史研究会 1994
p.147に「卯の刻、午の刻、酉の刻の一日三回鳴っていた」との記載あり。
・『岩槻 城と町まちの歴史』 菊地丕/著 聚海書林 1987
p.69~70に[時の鐘]あり。『新編武蔵風土記稿』によると、当時は、「渋江町の里正某が承りにて、二六の時を報ずることを司れり。」とあって、明け六つ、暮六つには美しい音色が四里四方に響きわたっていた、との記載あり。
・『大日本地誌大系 16 新編武蔵風土記稿』 蘆田 伊人/編集校訂 雄山閣 1981
p.97 「撞鐘」のところに、「渋江町の里正某が承りにて、二六の時を報ずることを司れり」と記載あり。
・『新岩槻史譚』 田中 午比古/著 田中午比古 1955
p.355~357に「朝六つの鐘をきいて起き、夕六つの鐘をきいて野良からかえる」という記載あり。
・『大江戸時の鐘音歩記』 吉村 弘/著 春秋社 2002
p.186に、文政2(1819)年、村尾嘉陵が浅間山を見るために大宮を過ぎてから氷川神社に立ち寄ると、辰の刻(午前八時)の鐘が聞こえたと「嘉陵紀行」(別名=江戸近郊道しるべ)に。
・「嘉陵紀行」村尾正晴著 江戸叢書刊行会 大正5
国会図書館デジタル化資料で閲覧可能。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952975(2013.10.17最終確認)
74コマ目に、「はるばる鐘の聲きこゆるとへば、辰の刻也と云、」と記載あり。
インターネットでキーワード“岩槻の鐘”で検索
・「浮間わいわいねっと 日光御成道(赤羽~岩槻)」
http://www.ukima.info/feature/onarikaido/tokinokane.htm(2013.10.17最終確認)
時の鐘は寛文11(1671)年に鋳造された。鐘は1日3回撞かれたとも言われるが、江戸後期には1日12回撞かれていたようだ(『新編武蔵風土記稿』他)、と記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- さいたま市岩槻区
- 時の鐘
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000139093