レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/06/22
- 登録日時
- 2013/01/23 02:00
- 更新日時
- 2013/04/29 22:37
- 管理番号
- 6000004661
- 質問
-
解決
豊中市と大阪市の境を流れる神崎川(かんざきがわ)の名前の由来がわかる資料はあるか。
- 回答
-
『日本歴史地名大系28 大阪府の地名』などによると、神崎川は古代には三国川と呼ばれていたが、中世末期から江戸時代初期にかけて、当時栄えていた神崎の渡し(現在の尼崎市)付近での呼び名が定着し、神崎川と呼ばれるようになったとのこと。
- 回答プロセス
-
291(地理)の書架を探す。
『日本歴史地名大系28 大阪府の地名1』(平凡社)p36に「神崎川」の項目があり。神崎川は大阪市東淀川区南江口町で淀川から分岐し、安威川・猪名川などを加えて大阪市西淀川区と兵庫県尼崎市の間で大阪湾にそそぐ。流路延長21.4km。古代から中世にかけては三国川(みくにがわ)と呼ばれており、続日本紀にその名が見える。大坂から山陽道筋へ向かう街道が神崎川を越える神崎の渡(現在の大阪市淀川区神崎橋付近)が中世に栄えていたため、このあたりでの通称であった「神崎川」が中世末期から江戸時代の初めにかけて定着をみたものと考えられるとの記載があり。またp585「神崎橋」によると、この橋は淀川区加島と神崎(現在の兵庫県尼崎市)の間にかけられた橋。
また『街道の日本史33 大坂 摂津・河内・和泉』(吉川弘文館)p68「河尻の発展」には、延暦4(785)年に桓武天皇により三国川と淀川の直結工事が行われたこと、神崎の渡にちなんで中世末から江戸初期に「神崎川」の呼称が定着したことの記載があり。図には三国川(安威川)との記載もあり。
『とよなかの史跡・余話』(瀧健三)p103「神崎川」には、延暦4年の工事についての詳しい記載や、三国川が安威川の下流であったこと、摂陽群談には「川辺郡神崎村にあり、川岸の地名を取りて川の名にす」摂津名所図会には「神崎川又神前とも書す。淀川の支流にして、川上にては吹田川・三国川といひ、神崎にては神崎川といふ」と書かれていることの記載があり。また豊中市庄本町にある椋橋総社(くらはしそうじゃ)には神功皇后が神前審浜(かんざきさにわのはま)に猪名の神々を集めて戦勝祈願をしたという故事にもとづく「神前松原遺跡」という石碑があるとのこと。なお三国川の名の由来として、長岡京造営のため阿波・讃岐・伊予の三国から木材を運ぶ必要があり、そのために開かれた運河を「三国川(さんごくがわ)」と呼んだのではないかとの説も紹介されている。
『郷土 庄本の歴史を中心として』(郷土の歴史研究会)p23「神崎松原遺跡」には、「摂津国風土記逸文」や「住吉大社神代記」をもとにした尼崎市史の引用があり。神前の地は現在の尼崎市神崎に比定できるが、「神代記」の記載(猪名川の東)からは神前審浜は(豊中市)庄内にあたるため、猪名川の流路変更か、猪名川の河口一帯を神前と呼んだとも考えられるとのこと。
ただし『庄内と庄内周辺史跡散歩』(森本吉道)p10「神前審浜はどこにあったのか」には、猪名川は至徳年間(1384~87)ごろに流路が変わったと伝えられているとの記載もあり。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 『日本歴史地名大系 28‐[1]』平凡社
- 『街道の日本史 33』吉川弘文館
- 『とよなかの史跡・余話』瀧 健三/編集 瀧 健三
- 『郷土』森本 吉道/著 郷土の歴史研究会
- 『庄内と庄内周辺史跡散歩』森本 吉道/編・著 森本 吉道
- キーワード
-
- 豊中(トヨナカ)
- 神崎川(カンザキガワ)
- 地名(チメイ)
- 河川(カセン)
- 由来(ユライ)
- 桓武天皇(カンムテンノウ)
- 三国川(ミクニガワ)
- 神崎の渡し(カンザキノワタシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000127047