レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2012/02/25 14:33
- 更新日時
- 2020/08/27 16:28
- 管理番号
- 新門司分館21
- 質問
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矢筈山に遺跡みたいなものがあるのですが、昔は何があったところですか?
- 回答
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矢筈山は北九州市門司区の戸ノ上山と風師山にはさまれた位置にある標高266mの山です。
『北九州の戦争遺跡』によると、ここは1887年(明治20)2月に関門地区防衛を目的に構築された下関要塞地帯の一つでした。要塞には9センチ臼砲四門と15センチ榴弾砲六門が据えられていました。明治末期に廃止されましたが、戦後すぐに国有地になり1953年(昭和28)の大水害を機に保安林に指定されました。1968年からキャンプ場建設の整備がすすめられ、1970年「矢筈山林間学園」になりました。当時の兵舎や地下壕、弾薬庫、営庭などがそのまま残っています。 『北九州を歩く』によれば、地元出身の県議・故寺岡光雄氏が、荒れ果てた砲台山を「矢筈山林間学園」に整備するのに尽力したようです。
現在は山頂にテントサイト、キャンプファイヤー場や赤れんがの壕跡を利用した施設があり、針葉樹林に囲まれ動植物が多く生息しています。関門海峡、響灘、周防灘も一望でき、多くの登山者が訪れています。
- 回答プロセス
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自館の郷土資料コーナーの棚をあたりました。
『福岡県百科事典』…矢筈山は北九州市門司区にあり、標高266m。戸ノ上山、風師山にはさまれた位置にある。山頂から門司港や対岸の下関の工業地帯の展望がよい。昔、砲台山と呼ばれ1898年(明治31)ごろ、頂上一帯に砲台と壕が築かれた。現在は矢筈山キャンプサイト(林間学園)として数多くの登山者がある。山頂にテントサイト、キャンプファイヤー場や、赤れんがの壕跡を利用した施設がある。以前は企救自然歩道のコースからはずれ、訪れる人も少なく、道は荒れ放題だったが、この山を青少年のキャンプ場にしようと、保安林解除の声が高まり、1966(昭和41)に解除されて、現在のように整備された。ここから眺める風師山、戸上山の姿はまた格別の趣がある。
『北九州を歩く』…荒れ果てた砲台山を、地元出身の県議・故寺岡光雄氏の熱意で、一九七二年に林間学園として整備し、少年少女の野外活動の場として利用されている。
『北九州の戦争遺跡』…「矢筈山砲台跡」山頂の堡塁跡は市立のキャンプ場となっている。ここは、一八八七年(明治二〇)二月に関門地区防衛を目的に構築された下関要塞地帯の一つ。関門海峡、響灘、周防灘が一望できる絶好の地点だ。要塞には九センチ臼砲四門と一五センチ榴弾砲六門が据えられていた。明治末期には廃止された。戦後は、すぐに国有地になり、一九五三年(昭和二八)の大水害を機に保安林に指定された。一九六八年からキャンプ場建設の整備がすすめられ、一九七〇年「矢筈山林間学園」になった。当時の兵舎や地下壕弾薬庫、営庭などがそのまま残っており、一部はキャンプ施設として使われている。
風師山・矢筈山・戸ノ上山の「山あるき ガイドマップ」…山頂には、矢筈山キャンプ場があり、深い針葉樹林に囲まれ、多くの動植物が生息している。樹木のトンネルをくぐれば、森林浴をゆっくりと楽しめる山道が続く。戦時中(明治時代)は山頂に旧陸軍の保塁陣地が築かれ、当時の名残が現在も残っており、一部はキャンプ場の施設として使われている。キャンプ場南西面のスナイダー広場からは戸ノ上山の秀麗な眺めが楽しめる。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『福岡県百科事典 下』 西日本新聞社福岡県百科事典刊行本部編 西日本新聞社 1982年 〈K030/ニ/2〉
- 『北九州を歩く 改訂版』 柏木実著 海鳥社 1999年 〈K296.110/キ〉 (207頁)
- 『北九州の戦争遺跡』 北九州平和資料館をつくる会編 北九州平和資料館をつくる会 2006年 〈K211/キ〉 (24頁)
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『福岡県の戦争遺跡』(福岡県文化財調査報告書 第274集)
福岡県教育委員会 2020.3 分類:219.1 108~109頁
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000102216