レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年3月27日
- 登録日時
- 2011/11/11 19:56
- 更新日時
- 2016/08/20 11:50
- 管理番号
- 町田-060
- 質問
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解決
江戸時代に①町田市相原地区に水車があった(武蔵風土記に上相原2基、中相原2基、下相原1基)とあるが詳しい資料を探している。
②同時代の他の地区に水車はあったのか知りたい。
- 回答
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①に関しては『わが町大蔵』 p.123~ 時代は大正~昭和初期と違っているが大蔵に三ヶ所水車があったとの記載あり。ただし、相原地区に水車があったかどうかは資料で確認することは出来なかった。
②については『近代東京の水車―『水車台帳』集成』― 鈴木 芳行 岩田書院 p.533~水車所在地索引(水車番号別)により、近隣の水車については、所有主、所有主住所、水車所在地、規模、業種、沿革の記載があり。
- 回答プロセス
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①について
質問者が「『町田市史』に記述はなかった。大蔵にはあったと聞くが風土記にはない。」との事だった。実際に『町田市史』を確認するが記述なし。大正~昭和初期に大蔵町にあった事は『わが町大蔵』 町田市大蔵町町内会 p.123-125 水車に記載あり。(下川戸橋、内川水車、大蔵共同水車)
質問者の「江戸時代に相原地区に水車があった(風土記 上相原2基 中相原2基 下相原1基)」には『堺村誌』 堺村誌編集委員会、『忠生村誌』 忠生村村誌編さん委員会、『鶴間郷土誌』 町田ジャーナル社、『広袴町小史』 吉川泰長を確認するが記載なし。
(財)たましん地域文化財団の発行する雑誌『多摩のあゆみ』 Vol.74「特集・多摩の水車」p.25~第2章データベース多摩三郡の水車に南多摩郡三箇所の年、住所の記載はあり。ただし、相原村はなし。(鶴川村大蔵、南村成瀬) 同じく『多摩のあゆみ』 Vol.115 「特集・武蔵野の水車」 p.56~「相模・南多摩の撚糸水車-半原撚糸を中心に」に相模、南多摩の水車事情の記載あるが相原村についてはなし。p.58 「南多摩郡では文化元年(1804年)が最も古い水車の設置年号となっている」と記載されている。⇒引用文献『近代東京の水車』 岩田書院 1994年を確認。『近代東京の水車-『水車台帳』集成』の巻末にある「水車所在地索引」より忠生村、鶴川村、南村、町田村、堺村の水車の沿革、住所は判明した。資料により近世、相原地区に水車があったかはたどる事は出来なかった。
②について
『江戸名所水車案内』 クオリ、『水車史考』 雪華社 には記載なし。『日本の水車と文化』 玉川学園出版部 p.40 天明6年(1766年)近畿地方の水車分布図あり。①で提供した『近代東京の水車-『水車台帳』集成』 岩田書店 1994年 に東京の水車の沿革、住所の記載あり。
関連HP
三鷹市HPより「三鷹の魅力」→「三鷹の水車しんぐるま」に三鷹の水車、日本の水車、書籍の紹介、リンク集があり参考になる。
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/suisya/ (2012.3.27確認)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 関東地方 (213)
- 流体機械.流体工学 (534)
- 参考資料
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- 『わが町大蔵』 町田市大蔵町町内会 2008年
- 『多摩のあゆみ』 (財)たましん地域文化財団
- 『町田市史史料集 5 』 町田市教育委員会 1972年
- 『近代東京の水車』 岩田書院 1994年
- 『日本の水車と文化』 玉川大学出版部 1992年
- キーワード
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- 江戸
- 水車
- 多摩
- 近世
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096424