レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/04/30
- 登録日時
- 2011/10/28 02:11
- 更新日時
- 2012/10/26 02:01
- 管理番号
- 滋2010-1711
- 質問
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解決
海北友松の読み方とその略歴を知りたい。
- 回答
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『滋賀県百科事典』によりますと、読み方は「かいほうゆうしょう」で、略歴は「1533~1615、桃山時代の画家。小谷城主浅井長政の重臣海北綱親の子として、坂田郡田根庄に生まれる。若くして洛東、東福寺にはいって禅僧となる。画を狩野元信にまなんだ。1573年(天正元)の織田信長による小谷城攻略により一族みな戦死する悲劇に出合い還俗(げんぞく)する。41歳のときであった。友松は名を紹益といい、近江佐々木の流れをくむ。彼の作品は京都の建仁寺本坊や塔頭(たっちゅう)、花園妙心寺などにつたえられ、重要文化財に指定されている。友松の画は人物・鳥獣・山水とあり、金壁に濃彩のものもあるが、本領は水墨画にあった。墨は五彩をあらわすといわれるが、気宇雄大にして気品のある画をえがいた。1615年(元和元)、83歳の天寿を全うして没した。(石丸正運)」とあります。なお、田根庄は旧浅井町(現、長浜市)にありました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.142
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2 近江の先覚 [第1集] 滋賀県教育会∥編集 滋賀県教育会 1951年 S-2800-1 p.176 -
3 近江人物伝 木村至宏∥[ほか]著 弘文堂書店 1978年 S-2800- 78 -
4 日本の美術 第324号 武田恒夫∥編 至文堂 1993年 S-7266- 93 -
5 近江の巨匠海北友松 大津市歴史博物館∥編集 大津市歴史博物館 1997年 S-7266- 97 -
6 図説滋賀県の歴史 木村至宏∥責任編集 河出書房新社 1987年 S-2100- 87 p.221 -
7 郷土の先哲 浅井町教育委員会 浅井町教育委員会 1972年 S-2866- 72 -
8 海北顕英遺稿集 海北顕英∥著 石田肇∥編 海北昂 1982年 5-2866- 82 -
9 海北友松 滋賀県立琵琶湖文化館∥編集 滋賀県立琵琶湖文化館 1986年 S-7200- 86 -
10 日本の美術 第324号 武田恒夫∥編 至文堂 1993年 S-7266- 93 -
11 近江人物志 滋賀縣教育會∥編輯 文泉堂 1917年 S-2800- 17 -
12 近江の画人たち 石丸正運∥著 サンブライト出版 1980年 S-7200- 80
- キーワード
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- 海北友松
- 画家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000095229