レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/29
- 登録日時
- 2011/04/23 02:00
- 更新日時
- 2011/05/23 13:47
- 管理番号
- 1000000140
- 質問
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解決
沖縄では、稲やさつまいもが入ってくる前に何を食べていたのか。
- 回答
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下記資料に関連する記述あり。
『みんなで学ぼう「おきなわの農業」』(沖縄県農業後継者育成基金協会、1999年)
p13~14 年表「沖縄の農業の歴史」に、原始古代時代の主な作物としてひえ、粟が挙げられている。
『概説沖縄農業史』(池原 真一、月刊沖縄社、1979年)
p12~16 「沖縄農業の起源」の項で、沖縄の農業の起源は縄文文化の頃であり、ヒエ、アワ等の作物を焼畑式農業で栽培し、それを食料に供したのであろう、と推察している。
『[首里農業協同組合]記念誌 農協55年のあゆみ』(首里農業協同組合、2002年)
p251 1400年代までは「甘藷はなく稲、黍(きび)、麦、菽(まめ)等が主食」であった、との記述あり。
『石器時代の沖縄』(新星図書、1978年)
p85~86 貝塚時代中期に農業が始まり、タロイモ・ヤムイモのイモ類、麦、粟、黍(きび)の穀類を栽培していたのではないか、との記述あり。
『沖縄文化史辞典』(東京堂出版、1972年)
p196~197 「食物」の項。新石器時代(紀元前16世紀)当時はイタジイ・マテガシ・コバテイシなどの実、テッポウユリの球根、キイルンヤマノイモ、ソテツの実などが主食として用いられた、との記述あり。また、サツマイモの輸入をみるまでは、里芋(タローイモ)とダイジョ(ヤマンム)の主食としての役割が大きかった、との記述あり。
p229 「だいじょ 大薯」の項。だいじょとはヤマイモのことで、昔は大事な主食であったが明治時代以後主食の座をしりぞいた、との記述あり。
p302 「農耕」の項。農耕文化の観点から、沖縄に適したサトイモ・ダイジョをはじめとし、粟等の雑穀、麦類、稲、サツマイモの順にとり入れた、としている。
『郷土のくらしと文化-図説- 上巻』(新星図書出版、1980年)
p216 「古代の農業」の項に、サトイモ、アワ、8世紀頃からイネ、ムギ、マメなども主要作物になったと考えられる、との記述あり。
『甘藷の文化誌』(比嘉 武吉、比嘉菊、1998年)
p114~140 第9章「琉球語ウムの語源」において、「ウム」が表す作物の変遷からヤマイモ→サトイモ→サツマイモと主要作物が変わったと考察している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 みんなで学ぼう「おきなわの農業」 みんなで学ぼう「おきなわの農業」編集委員∥編 沖縄県農業後継者育成基金協会 1999.3 K375/O52/ 13-14
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2 概説沖縄農業史 池原 真一∥著 月刊沖縄社 1979.8 K61/I33/ 12-16 -
3 [首里農業協同組合]記念誌 農協55年のあゆみ JA首里55周年記念誌編集委員会∥編集 首里農業協同組合 2002.3 K61/SH99/ 251 -
4 石器時代の沖縄 沖縄考古学会∥編 新星図書 1978.6 K202/O52/ 85-86 -
5 沖縄文化史辞典 真栄田 義見∥編 東京堂出版 1972.3 K03/MA26/ 196-197、229、302 -
6 郷土のくらしと文化-図説- 上巻 新星図書出版 1980.12 K382/KY2/1 216 -
7 甘藷の文化誌 比嘉 武吉∥著 比嘉菊 1998.11 K61/H55/ 114-140
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000085320