レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1997/07/30
- 登録日時
- 2011/02/26 02:00
- 更新日時
- 2018/02/17 15:03
- 管理番号
- 長野市立長野-97-011
- 質問
-
解決
『川中島』という歌の歌いだしにある「西条山」は「妻女山」のことだというが、過去に「妻女山」は「西条山」とよばれていたのか。
- 回答
-
『甲陽軍鑑』には西条山と記述があるようですが、その記述は誤りであるとありました。
【追記:2018年1月27日】
本当の妻女山は斎場山であるとする説の論文が雑誌「長野」に掲載されていました。
- 回答プロセス
-
『松代町史 上巻』p72 妻女山の項に「甲陽軍鑑には西條山と誤り記されてある。」とあり。
『激戦川中島』p41 「『甲陽軍鑑』や『川中島五戦記』などでは、西条山と書いているが、『更科郡誌』によると、当地の土地台帳には妻女山とあるといいます。」とあり。
県立長野図書館へレファレンス照会。
以下同図書館より回答。
-------------------
享保9年(1724年)の「信府統記」(『新編信濃史料叢書 5巻』66頁)によると、妻女山の記述のところに、「又一説西条山トモ云フハ非ナリ―」とあります。
明和4年(1767年)の「信濃地名考」(『新編信濃史料叢書 1巻』13頁)の「科野之國形」には「妻女山」と記されています。
『埴科郡志』(1910 埴科郡役所)の「妻女山」の記述には、「―甲越戦記には西条山と記せらる今は清野村土地臺帳妻女たり」とあります。
また、当館の資料を調べてみましたが、『甲陽軍鑑』以前の時代の史料の中で妻女山もしくは西条山について書かれているものが見つからなかったので、『甲陽軍鑑』以前の様子についてはわかりませんでした。
-------------------
【追記:2018年1月27日】
雑誌「長野 2008年 第259号 2008の3」p21-29に
「妻女山の真実 ―妻女山は往古赤坂山であった。本当の妻女山は斎場山である。―」
という論文あり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中部地方 (215)
- 参考資料
-
- 『松代町史 上巻』大平 喜間多/編纂 松代町役場 1929.04 <N213マ1>
- 『激戦川中島』一ノ瀬 義法/著 教育書籍 1987.11 <N213イ>
- 『新編 信濃史料叢書 第5巻』信濃史料刊行会/編 信濃史料刊行会 1973 <N208シ5>
- 『新編 信濃史料叢書 第1巻』信濃史料刊行会/編 信濃史料刊行会 1970 <N208シ1>
- 『埴科郡志』埴科郡役所/編 明治文献 1973 <N219ハ>
- 『長野 2008年 第259号 2008の3』 (p21-29 妻女山の真実 ―妻女山は往古赤坂山であった。本当の妻女山は斎場山である。―)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
-
- 県立長野図書館(http://www.library.pref.nagano.jp/)
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000080855