レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/11/18
- 登録日時
- 2010/12/09 02:01
- 更新日時
- 2010/12/09 10:45
- 管理番号
- 千県中千葉-2010-0015
- 質問
-
未解決
『寛政重修諸家譜巻第四百六 宇多源氏 佐々木支流 森川』の記述に森川氏俊の妻は大村越前守某が女とありますが、大村越前守とは大村藩主のどの方をさすのですか(例えば大村河内守純富とか)。
大村越前守の系図などの史料があれば、史料名及び記述部分、頁なども知りたい。
- 回答
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森川氏俊の妻「大村越前守某が女」の「大村越前守」が誰にあたるのか分かる資料は見つかりませんでした。
ご指摘の純富については、『寛政重修諸家譜 第12(新訂)』(続群書類従完成会 1980)p198-204に掲載されている大村の系図のp203に純富(すみひさ)の記載がありますが、越前守という表記は無く「河内守」となっています。生没年は正徳元年~寛延元年(1711-1748)でした。
『寛政重修諸家譜 第7(新訂)』(続群書類従完成会 1980)p85-86によると森川氏俊の没年は慶長3(1598)年で54歳でした。
純富の生年が、氏俊の没後になっています。
また『寛政重修諸家譜 第12(新訂)』(続群書類従完成会 1980)p198-204に掲載されている大村の系図を通覧したところ、p198下段に「純重 越前守」とありますが、索引を確認したところ、『寛政重修諸家譜』にそれ以上の記述はありませんでした。
大村純重については、次の資料に記述がありましたが、家系など詳しいことは分かりませんでした。
東京大学史料編纂所のホームページの『東京大学史料編纂所報』第13号p31(http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/13/pub_shiryo-11-16.html)に「大日本史料 第十一編之十六」の紹介が掲載されており「九州では、島津忠平と上井覚兼が誓書を交し(六月十五日条)(中略)肥前の大村純重等六十余名は後藤家生に(六月四日条)、鍋島信生は波多親に(七月二日条)それぞれ誓書を呈している」とあります。当館所蔵の『大日本史料 第11編之16 正親町天皇 自天正十三年五月~至同七月』(東京大学史料編纂所編纂 東京大学出版会 1978)p70に「天正拾参年六月四日 大村右衛門尉 純重」とあります。天正13年は1585年です。
その他、次の資料に大村純重についての記述はありませんでした。
『三百藩藩主人名事典 4』(藩主人名事典編纂委員会編 新人物往来社 1986)
『戦国人名事典』(阿部猛編 西村圭子編 新人物往来社 1987)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『長崎県史 藩政編』(長崎県史編集委員会編集 吉川弘文館 1973)
(インターネット最終アクセス:2010年10月26日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『寛政重修諸家譜 第7』(続群書類従完成会 1980 新訂)
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- 『寛政重修諸家譜 第12』(続群書類従完成会 1980 新訂) (9102895211)
- 『寛政重修諸家譜 第7』(続群書類従完成会 1980 新訂) (9200262024)
- 『大日本史料 第十一編之十六 正親町天皇 自天正十三年五月~至同七月』(東京大学史料編纂所編 東京大学出版会 1978) (9101884222)
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東京大学史料編纂所のホームページ『東京大学史料編纂所報』第13号p31(http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/13/pub_shiryo-11-16.html)
- キーワード
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- 家系
- 系図
- 千葉県
- 大村越前守
- 森川氏俊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000074949