レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/10/24
- 登録日時
- 2010/04/07 02:00
- 更新日時
- 2010/04/22 17:27
- 管理番号
- 埼久-2009-064
- 質問
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解決
「後拾遺和歌集」、中務卿兼明親王の和歌「ななへやへ はなはさけども」の歌について以下を知りたい。
①第五句は、「かなしき」と「あやしき」でどちらがポピュラーに使われているか。②この和歌について詳しく研究している資料はないか。
- 回答
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①明治期の教科書に太田道灌の逸話として紹介されたものが多いため、「悲しき」とするのがポピュラーである。
②詳しく研究している資料としては以下の2点が見つかり、これらを紹介する。
『太田道灌「山吹の里」考』(藤井善男 望月印刷 1995) 県立図所蔵あり。
水原一「太田道灌山吹譚について」(『駒澤國文 32』p183-185所収) 県立未所蔵。
《CiNii》を〈太田道灌 & 山吹〉で検索すると上記がヒットし記事の全文が閲覧できる。
- 回答プロセス
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『後拾遺集 十九 雑部』 兼明親王の作の記述があるもの。
『漢詩名句辞典』(大修館書店 1980)
p543-544 太田道潅の逸話について描いた「太田道潅借蓑図」に付された詩と解説があり。詩は「なきぞかなしき」。解説に「「七重八重…」の歌は、「後拾遺集 十九 雑部」に兼明親王の作として見えるが、第五句は「なきぞあやしき」となっている。」とあり。「なお、この詩は、大槻磐渓の作とも伝えられているが甚だ疑わしく作者不明である。」ともあり。
『後拾遺和歌集新釈 下』(笠間書院 1997)
p643-644に「中務卿兼明親王」の作として同歌があり「なきぞあやしき」となっている。補説として太田道灌の逸話が載っており、「(前略) なきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという有名な話が『常山紀談』に載る」とあり。
『和歌植物表現辞典』(平田喜信・身﨑壽 東京堂出版 1994)
p360 和歌の記載は「あやしき」。(後拾遺集・雑五・1154・兼明親王)
教科書に掲載された記録
以下のように明治期に教科書で太田道灌の逸話として多くあげられている。
道灌の逸話として紹介されたものはみな「悲しき」と記述されている。
『旧制中等教育国語科教科書内容索引』「1 明治期中学校教科書内容索引 太田道灌の項」
(1)「藤房卿の忠告」(新保磐次 金港堂刊 28年8月刊) 「中学国語読本 第7巻16課」。
(2)「短慮不成功」(大町芳衛・上田敏 大日本図書 32年4月刊) 「新体中学国文教程 第8巻23課」。
『漢詩名句辞典』『常山紀談』には「悲しき」、『和歌植物表現辞典』には「あやしき」とあり。
埼玉県と関係が深い太田道灌から調べる。自館目録を〈太田道灌〉で検索する。
「太田道灌」逸話としての記述があるものとして、『太田道灌「山吹の里」考』(藤井善男 望月印刷 1995)がヒットする。
《CiNii》(国立情報学研究所 論文情報ナビゲータ)を〈太田道灌 & 山吹〉で検索する。
水原 一「太田道灌山吹譚について」『駒澤國文 32号』(p183-185 1995年2月)がヒットする。また、記事の全文が閲覧できる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 『太田道灌「山吹の里」考』(藤井善男 望月印刷 1995)
- 水原一「太田道灌山吹譚について」(『駒澤國文 32号』p183-185 1995年2月)
- 『越生美談山吹の里』(大野嘉太郎 1934)
- 『常山紀談 本文篇』(和泉書院 1992)
- 『漢詩名句辞典』(大修館書店 1980)
- 『後拾遺和歌集新釈 下』(笠間書院 1997)
- 『和歌植物表現辞典』(平田喜信・身﨑壽 東京堂出版 1994)
- 『旧制中等教育国語科教科書内容索引』(田坂文穂 教科書研究センター 1984)
- キーワード
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- 和歌
- 日本文学
- 太田 道灌(オオタ ドウカン)
- 山吹
- 「後拾遺和歌集」
- 中務卿兼明親王(ナカツカサキョウ カネアキラシンノウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000065813