レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20070417
- 登録日時
- 2010/03/30 02:02
- 更新日時
- 2010/03/30 02:02
- 管理番号
- 9000000513
- 質問
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解決
富田浜海岸の噴水塔の金属回収 四日市・富田浜海岸の噴水塔について、 ・設置は昭和10年7月、所在地は現在の富田浜町16付近 ・地元では噴水塔に取り付けられていた像は「神武天皇」だと伝えられている ・(台座はコンクリート製だが)像は金属製で、戦時中の金属回収の際に撤去されたらしい ということが地元では言われていますが、 ・台座は戦後もそのまま残ったが(地元の店が使っていた)風化が進み数十年前に撤去した金属回収の話が本当だとすれば、十年足らずで撤去されたことになります。回収はおそらく「銅像等ノ非常回収実施要綱」(昭和18年3月5日決定)に従って、各県ごとに 進められたのではないかと推測しております。このときの三重県四日市における回収の公的な記録のようなものは、残されているでしょうか。
- 回答
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金属回収についてですが、富田浜海岸の噴水塔についての記述はありませんが、『四日市市史』(第十八巻 通史編 近代)の中で、資源回収という項目の中で「四〇年には市内の官庁にある不用金属を供出し、翌年には寺院の鉄類、学校や公民館などの鉄門・鉄柵を供出した。四一年に施行された金属回収令は、金属資源特別回収実施細目となって各町内会を通じて国民に徹底した。その結果は銅製の鍋、釜、火鉢はもちろん樋、蚊帳の吊り手まで供出され、海水浴休憩所の建造に際しても解体後供出することを届けさせているし、神社、寺院の鳥居や燈籠・釣鐘などの回収も指示している」という記述があります。 したがって、国家総動員法に基づく「金属類回収令」(1941年(昭和16)年8月30日公布(勅令第835号)、1941年(昭和16)年9月1日施行)により金属回収が実施され、その際に金属製の像が回収されたのであれば、1941(昭和16)年頃に回収されたのではないかと推測されます。
- 回答プロセス
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まず『四日市市史』において戦争時の資源回収に関する項目を調べ、国家総動員法に基づく金属回収令により回収がなされたと類推した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 国家総動員法令集 ,四日市市史 第18巻
- キーワード
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- 富田浜 噴水塔
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000064349