レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/04/13
- 登録日時
- 2009/06/03 02:10
- 更新日時
- 2009/06/08 10:52
- 管理番号
- 10-2D-200906-01
- 質問
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解決
複式簿記はいつ日本で教えられるようになったのか。
- 回答
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一橋大学の企画展のサイト「複式簿記がやってきた!」によると、明治初期。
「日本大百科全書」“銀行簿記”の項目によると、
大蔵省の招きにより銀行簿記の講義をしたイギリスの銀行家アレキサンダー・アラン・シャンドが
1873(明治6)年12月刊行した『銀行簿記精法』がわが国に初めて紹介された複式簿記とのこと。
さらに、「歴史にふれる会計学」 (有斐閣 1996) p.116~126 と
「複式簿記の構造と機能」(同文舘出版 2007) p.216~238 によると、
1.アメリカ・カナダの専門学校のテキスト「Bryant and Stratton's Common School Book-keepng」を
福沢諭吉が翻訳した「帳合之法」のうち、複式簿記を記述した「本式」の部分が出版された
1874(明治7)年6月
2.紙幣頭書記官であった英国人シャンド(Shand, A. A.)の原述を翻訳紹介した「銀行簿記精法」が
大蔵省から出版された1873(明治6)年12月
の2つが、複式簿記の日本への伝播とみられるよう。
他に、「複式簿記の構造と機能」p.238に記載の参考文献の中で、特に詳しく載っていそうなものとして、
「日本簿記史談」(同文舘 1974 ) 「日本簿記学生成史」 (雄松堂書店 1982)の2冊をご紹介。
- 回答プロセス
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1 商用データベース「ジャパンナレッジ」で“複式簿記”で検索。
「デジタル大辞泉」・「日本国語大辞典」・「日本大百科全書」で“複式簿記”の項が見つかるが、
いずれも歴史については記載がなかったが、「日本大百科全書」の“複式簿記”の項に関連サイトあり。
紹介されていたサイト「複式簿記がやってきた!」によると、明治初期であることがわかる。
さらに、全文検索で“複式簿記”を検索。50件見つかる。
「日本大百科全書」“銀行簿記”の項目によると、
「大蔵省は、(18)72年5月イギリスの銀行家アレキサンダー・アラン・シャンドを招き、銀行簿記の講義を依頼したが、その内容をまとめたものが73年12月に『銀行簿記精法』として刊行された。この銀行簿記法(シャンド式簿記とよばれた)はわが国銀行簿記の基盤となったことはいうまでもないが、さらに、わが国に初めて紹介された複式簿記として産業界にも大きな影響を与えた。」
これを利用者の方にお伝えしたところ、できれば図書で書いてあるものをとのことだったので、さらにお調べ。
2.当館所蔵を、フリーワード“複式簿記”ד歴史”で検索
見つかった図書の内容を確認する。
「複式簿記生成発達史論」 「複式簿記入門」 「簿記・会計の理論・歴史・教育」 の3冊には記載見当たらず。
- 事前調査事項
- NDC
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- 経営管理 (336 9版)
- 参考資料
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・回答に使った資料
商用データベース「ジャパンナレッジ」
「複式簿記がやってきた!」 http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/k15/index.html (2009.5.29確認)
「歴史にふれる会計学」 友岡 賛/著 有斐閣 1996 ISBN 4-641-12027-7 <当館書誌ID:0000583532>
「複式簿記の構造と機能」 中野常男/編著 同文舘出版 2007 ISBN 978-4-495-19091-0 <当館書誌ID:0011532689>
・参考文献として紹介した資料
「日本簿記史談」 西川孝治郎/著 同文舘 1974 <当館書誌ID:0080121532>
「日本簿記学生成史」 西川孝治郎/著 雄松堂書店 1982
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・回答に使った資料
- キーワード
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- 複式簿記
- 福沢諭吉
- シャンド:Shand, A. A.
- 明治時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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シャンド Shand,Alexander Allan 1844‐1930
イギリスの銀行家。文久3年(1863)マーカンタイル銀行横浜支店長格で来日。明治5年日本政府に国立銀行の経営指導者としてやとわれ,銀行簿記,金融業務を指導。「銀行簿記精法」「銀行大意」をあらわし,日本金融界の近代化につくした。明治11年帰国。1930年4月12日死去。86歳。アバディーン出身。
「日本人名大辞典」より
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000055286