レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/08/21
- 登録日時
- 2008/03/31 02:11
- 更新日時
- 2008/10/22 12:01
- 管理番号
- 愛知県図-00113
- 質問
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解決
外郎(ういろう)の語源は何か?また愛知ではいつ頃から売られるようになったのか?
- 回答
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【資料1】や【資料2】、【資料3】、【資料4】などによれば、「外郎」は本来薬の名です。中国の元の国の「礼部員外郎」の職にあった陳氏(陳宗敬)が応安年間(1368-1374)日本に渡来し、以後代々医を業として「外郎家」と呼ばれ、「透頂香」などの薬を製しましたが、この「透頂香」が外郎と通称されて普及しました。
菓子のういろうの名の由来については、この外郎家が製法を伝えたためという説と、黒砂糖を使っていて色が透頂香に似ていたためという説とがありますが、後者の説が有力のようです。
また、愛知での外郎製造の元祖は「餅文」こと水谷文蔵であり、売り始めたのは元治元(1864)年からといわれていますが、万治元(1658)年あるいは2(1659)年からという説もあります。【資料5】には「美濃の高須に平屋と云へる外郎屋ありしが、当地袋町五丁目の餅屋水谷文蔵は、之と親戚なるを以て、其製法の秘を得、元治元年、試験的に売り始め、普通餅の製造の余業とせり、其後間もなく外郎発売を主としたり」とあり、【資料6】には「元治元年には袋町餅屋水谷文蔵が、名古屋ではじめて外郎を製造販売したという(万治説もあり)。」とあります。ちなみに「餅文総本店」のホームページhttp://www.mochibun.co.jp/(2008年10月22日確認)には創業は万治2年とあり、「ういろ製造の経緯は、諸説ありますが、尾張藩2代目藩主徳川光友に仕えた陳元贇が藩の御用商人だった初代の餅屋文蔵に製法を伝えられたのが始まりとされています。」との記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品工業 (588 9版)
- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 参考資料
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- 資料1『東海の味』毎日新聞社,1963 ( 1108555268)
- 資料2『愛知の和菓子にほんの菓子』中埜総合印刷,1991 ( 1106417398)
- 資料3『愛知百科事典』中日新聞本社,1976 ( 1101469480)
- 資料4『日本史大事典 1』平凡社,1994 (1106219300)
- 資料5 『名古屋市史 風俗編』愛知県郷土資料刊行会,1979(大正4年刊の復刻) (1101476396 )
- 資料6『新修名古屋市史 第4巻』名古屋市,1999 (1107758883)
- キーワード
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- 外郎
- 和菓子
- 由来
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000043102