レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/03/01
- 登録日時
- 2008/02/17 02:10
- 更新日時
- 2010/04/21 17:42
- 管理番号
- 10-3A-200703-05
- 質問
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未解決
昔、平野にあった環濠について
- 回答
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大阪市のホームページにある「平野区」の中の「平野うぉ~くらり~」-加美 には(http://www.city.osaka.jp/hirano/walk/kami.html)
「平野の環濠は、いつ頃掘られたものかは不明であるが、戦国時代に自衛と灌漑、排水用あるいは洪水の調節池としての役割を持って作られたと考えられる。町の周囲に堤を築き、その外に濠をもうけ、さらに二重になったところもあった。濠は平野川ともつながり、杭全神社東側にあった船溜は平野川を上下する柏原船の発着で賑わい、繁栄の基礎ともなったが、時代の移りかわりとともに埋め立てられ、(中略)現在では杭全公園の北側と赤留比売命神社背後の土塁に面影を残すのみとなった。」とあります。
,『東住吉区史』・ 『平野区誌』などにも、同様の記載があります。 各種資料に掲載されている「摂州平野大絵図」(宝暦13 1763年)には、この頃の環濠が描かれています。
前述の”大阪市のホームページにある平野区”の中や『平野区誌』(p314)には、現存する杭全神社東側(=杭全公園北側)に残る環濠跡の写真が掲載されています。
また、『きらめきの再百見』(平野区コミュニティ協会) には、「濠の間に各方面に通じる13の木戸がおかれ、門や地蔵堂があった」とあり、1ヶ所を除き、現在もこれらの場所に祀られている地蔵尊の写真が掲載されています。
なお、かっては平野区喜連地区にもあったとされる環濠については,『平野区をまるごと遊ぼう。』(まちをテーマに本をつくろう会) に記載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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「平野区」の中の「平野うぉ~くらり~」-加美
http://www.city.osaka.jp/hirano/walk/kami.html
『東住吉区史』 (川端直正編 東住吉区創設一五周年四ヵ村編入三周年記念事業委員会 1961年 当館書誌ID: 0000301758) p58~59
『平野区誌』 (平野区誌編集委員会編 平野区誌刊行委員会 2005年 当館書誌ID:0011041212)
『きらめきの再百見』 (平野区コミュニティ協会 1994年 当館書誌ID:0000460588) p22~23
『平野区をまるごと遊ぼう。』 (三田征彦編 まちをテーマに本をつくろう会 2003年 当館書誌ID:0010715118) p120~121
『平野郷町誌』(清文堂出版 1991年 当館書誌ID:0000196608)
『おもろいで平野』(平野の町づくりを考える会編集 和泉書院 当館書誌ID:0000484114) p43 杭全神社東側の環濠跡の写真
『大阪史蹟辞典』(三善貞司編 清文堂出版 1986年 当館書誌ID:0000214926 p530
『歴史の散歩道 4 大阪 平野郷コース』(後藤仁郎 1980年 当館書誌ID:0080205031)
『大阪春秋 44号 八尾・平野・中河内』(大阪春秋社 1985年 当館書誌ID:0090000395) p42~45 ”平野十三口地蔵尊”
「平野区 Official Homepage」(大阪市)
http://www.city.osaka.jp/hirano/index.html (2006年4月15日確認)
大阪市 http://www.city.osaka.jp (2006年4月15日確認)
おおさか・あんじゅ・ネット-「平野郷地区」-平野郷ミニヒストリー (大阪市立住まい情報センター)
http://www.sumai.city.osaka.jp/hope/hirano/rekishi.html (2006年4月15日確認)
おおさか・あんじゅ・ネット (大阪市立住まい情報センター)
http://www.sumai.city.osaka.jp/ (2006年4月15日確認)
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「平野区」の中の「平野うぉ~くらり~」-加美
- キーワード
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- 環濠
- 大阪府大阪市平野区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000041889