レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005/01/25
- 登録日時
- 2005/01/25 11:20
- 更新日時
- 2010/05/26 16:40
- 管理番号
- 20040212-1
- 質問
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解決
司馬遼太郎『翔ぶが如く』の中で描かれている「惜松碑(せきしょうひ)」に関する文献を探している。
- 回答
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明治六年、白砂青松の名勝 、堺の高師ノ浜を訪れた大久保利通は、士族授産のために松林が伐採されているのを目にした。
『翔ぶが如く』に以下の記述がある。
「以前、この松原には二六三九本の松が繁茂していた。が、大久保がこの地を訪ねたときには伐採が進んですでに八四八本を残すのみになっていて、さらにどんどん斧が入れられている。「明治維新というのは、千年の名勝を荒らすだけのことなのか。」大久保は暗然として税所をかえりみた。税所はその非に気づき、この授産をやめさせることにした。」
「堺県知事税所篤の後年の談話では、このときの情景が劇的になっている。大久保は海辺の松の切株に腰をおろし、濫伐であらされた左右の松林をながめてしばらく無言でいたが、やがて懐紙をとりだし、歌を一首書きとめて案内役の税所にわたした。「音にきく高師の浜のはま松も世のあだ波はのがれざりけり」」
「明治三十一年に大久保の歌碑がたてられており、その碑の裏に税所篤の文章がきざまれている。」
この歌碑が「惜松碑」である。司馬氏は何らかの資料に基づき松の本数まで克明に記述している。関連のある様々な地方史誌を調査した結果『大阪府全志』に松の本数に関する情報も含め、税所篤の碑文など、最も詳細な記述があることがわかった。司馬氏の記述とも一致していた。この歌碑は現在、浜寺公園入口に建っている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 司馬遼太郎著 『翔ぶが如く』 一 文芸春秋社 1975 p.315-316
- 井上正雄著 『大阪府全志』 巻之5 大阪府全志発行所 1922 p.341-345
- キーワード
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- 司馬遼太郎
- 翔ぶが如く
- 惜松碑
- 大久保利通
- 浜寺公園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 地方史誌
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000013851