(1)東京市立日比谷図書館の開館時の蔵書
『ひびや-東京都立日比谷図書館要覧』 1号 (1958) p.8「沿革」によると、
・明治41年11月21日 公衆の閲覧開始
・昭和20年5月25日 戦災により焼失。被害蔵書209,040冊
以上の事情により、開館当時の記録は残っていない。
資料1:『図書館発達史』
p.218 日比谷図書館の開館について、「48,100冊で開館」との記述あり。(資料2:『東京の図書館百年の歩み』にも同様の記述あり)
48,100冊の内訳については、「新規購入図書一万冊余りのほかに、内閣文庫から寄贈された九六〇〇冊から選んだ五五〇〇冊、福羽逸人氏から寄贈された七六〇〇冊、それに高楠博士からの寄託図書であるゴルドン夫人斡旋蒐集の日英文庫図書九万五〇〇〇冊から選んだ二万五〇〇〇冊、の計四万八一〇〇冊」とあり。
(2)夏目漱石の著作について
資料3『東京都立日比谷図書館蔵書目録1868-1954 人文科学・芸術・語学・文学』の著者名目録で「夏目漱石」で引き、明治40年頃の刊行物を見ると、5件が該当する。
資料4:『文学評論』 春陽堂 明42 (9010/17)
資料5:『文学論』 大倉書店 明40 (9010/2)
資料6:『鶉籠』 春陽堂 明40 (J360/N659/U)
資料7:『虞美人草』 春陽堂 明41 (J360/N659/G)
資料8:『四編』 春陽堂 明43 (J360/N659/S)
いずれもデータベース上の受入年月日は1950(昭和25)年以降。現物を持っている中央図書館人文科学係と多摩図書館情報サービス係に受入印を確認してもらったが、データベース上の受入年月日と同じになっている。従って、資料4~8の5点が日比谷図書館開館当時から所蔵されていたかどうかは不明である。
日本図書館協会の機関紙『図書館雑誌』が、明治40年10月に創刊されているが、その第10号(明治43年11月) p.34-38に「閲覧回数の多き図書」という記事が掲載されている。「東京市立日比谷図書館に於て閲覧回数の多き図書及び其著者を部門別の表に調製せられしが、之により最近読書界の趨勢の一斑を窺ふに足り、図書館経営者の参考も資すべきもの少かざるを以て、左に之を掲ぐ」で始まる表がある。
そこには「文学、語学」の小説の項に、夏目漱石の『吾輩は猫である』があり、一ヶ月平均閲覧回数51回で、5番目の利用となっている。この調査は、明治43年5月20日時点の調査で、備付期間5ヶ月以上の本が対象になっているということなので、少なくとも、開館直後には夏目漱石の『吾輩は猫である』が所蔵されていたことは、確認できる。