レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/04/19
- 登録日時
- 2011/08/03 02:00
- 更新日時
- 2011/09/28 09:23
- 管理番号
- 埼久-2011-018
- 質問
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解決
旧栗橋町大字河原代に明治以前にあった沼、「内沼」「外沼」の位置がわかる地図を見たい。
- 回答
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旧栗橋町にあった「内沼」「外沼」について、下記の文献で沼の所在についての記述・略図は確認できた。ただし、明治以降に測量された地形図では、沼の名称と位置を確認することはできなかった。
1 地形図類
(1) 『明治前期手書彩色関東実測図』(迅速測図原図覆刻版編集委員会編 日本地図センター 1991)(多色刷 第一軍管地方二万分一迅速測図原図覆刻版)
「790図(4班18号8測板)埼玉県武蔵国北葛飾郡河原代村外十六ヶ村」(原文は旧字) に河原代村の周辺に2か所「荒蕪地」あり(内沼・外沼の記述はありません)。
明治16年測量・2万分の1地形図、藍色に着色された水表面3箇所を確認できる。うち北廣嶌村寄りの1箇所には「葦」の表記があり。
現在の二万分の一図と比較すると、南栗橋地区に重ね合う。
カラーで、本資料が一番わかりやすい。
(2) 『第一軍管地方迅速測図 二万分一地形図』(参謀本部測量局〔編〕 大日本測量[19--〕)
明治16年測量・2万分の1地形図。
区分18に「栗橋駅」河原代村の周辺に2か所「荒蕪地」があり。
また、別の地形図『5万分の1地形図 幸手(鴻巣)』(明治40年測図(複製))の該当箇所からは水田・一部湿地を確認できたのみ。一部水田ではない空白部分があるが、沼であるかは確認できず。空白部分が確認できるのは、『5万分の1地形図 鴻巣』(明治40年測図 昭4修正 昭34部修)までである。
(3) 『明治前期関東平野地誌図集成 1880(明治13)年‐1886(明治19)年』(地図資料編纂会編集 柏書房 1989)
p101「栗橋」図
参謀本部陸軍部測量局が作成した迅速測図を元に、図郭を国土地理院発行の2万5千分の1地形図に合わせたものである。
上記(2)『第一軍管地方迅速測図 二万分一地形図』と同じ明治16年測のものである。
(4) 『日本図誌大系 関東1』(朝倉書店 1972)
p340「栗橋・幸手・久喜 図1【5】幸手(明40測)」(一部)
明治40年測図5万分の1地形図「幸手」が掲載されている。後述する(7)『栗橋町の歴史と文化財』(1982)のp132「栗橋町内の池沼」図に表示された「30 道下寺沼」「31 内沼」「32 外沼」に相当する箇所に、「湿地」を示す地図記号が記されている。
上記(2)の文中『5万分の1地形図 幸手(鴻巣)』(明治40年測図(複製))と同図と思われる。
(5) 『栗橋町史 3 原始・古代・中世』(栗橋町教育委員会編 栗橋町教育委員会 2008)
p4「明治十六年作成地図にみる栗橋町(国土地理院発行)」の部分図には、「道下寺沼」と思われる箇所はあるが、「内沼」「外沼」の沼名の記述はない。
2 略図上の位置が確認できる資料および沼と同名の字(あざ)が確認できる資料
(略図のため正確な位置を確認することはできない資料)
(1) 『栗橋町史 民俗2』(栗橋町教育委員会編 栗橋町教育委員会 2010)
p63-67「池・沼の分布と変遷」の項によると、p64-65「池沼状況一覧」に内沼および外沼があり、両方とも形成期は「低湿地の滞水」、現状は「明治以降の排水工事で水田となった。」とあり。
p66「池沼分布図」の21が内沼、22が外沼で、東北新幹線を挟んで東西に並んで位置している。
(2) 『栗橋町の歴史と文化財』(栗橋町文化財保護審議調査委員会編 栗橋町教育委員会 1982)
p125-129「水害で生じた池沼」の項によると、p129に内沼と外沼について上記(6)と同内容の記述あり。
p132「栗橋町内の池沼」図によると、31が内沼、32が外沼として大まかな位置がわかる。
(3) 『栗橋の地名 もじずり叢書 1』(桐生清著 もじずり叢書刊行会 1994)
第55回「新田前」の項に、小字として内沼・外沼の紹介があり、略図中に「内沼・外沼」の表記あり。
また周辺について昔を知る昼間氏(狐塚村名主)の談話「新田付近は一面にヨシが茂り、北側は沼が多く」との談話あり。
(4) 『耕地開発と景観の自然環境学』(橋本直子著 古今書院 2010)
p43「図3-3b 1883(明治16)年陸軍参謀本部による2万分の1迅速測図(部分)
p58「図4-2 迅速測図にみえる旧河道
前掲の①『明治前期手書彩色関東実測図』「790図(4班18号8測板)埼玉県武蔵国北葛飾郡河原代村外十六ヶ村」と同じ地図が掲載されている。
(5) 『洪水避難地図 洪水ハザードマップ』(栗橋町 2006)
避難場所として「内沼公園」が指定され、近くに外沼橋が存在している。
(6) 『栗橋町史資料 1 地誌』(栗橋町教育委員会編 栗橋町教育委員会 2007)
p64「武蔵国郡村誌」より河原代村の字地として「内沼 下分の東北に連なる、東西五丁五十間・南北二丁十五間」「外沼 内沼の北に連なる、東西三丁・南北一丁二十五間」の引用があるのみ。
(7) 雑誌『Urban Kubota 1981年4月 特集:利根川』(クボタ 1981)
p21「図3-明治10年代迅測図にみる栗橋付近利根川流路と流路跡」があるが、該当の沼は確認できず。
- 回答プロセス
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その他調査過程で得た情報
『栗橋町史 民俗2』(栗橋町教育委員会編 栗橋町教育委員会 2010)
p63-67「池・沼の分布と変遷」の項によると、p64-65「池沼状況一覧」に内沼および外沼があり、両方とも形成期は「低湿地の滞水」、現状は「明治以降の排水工事で水田となった。」とある。p66「池沼分布図」の21が内沼、22が外沼で東北新幹線を挟んで東西に並んで位置している。
『栗橋町の歴史と文化財』(栗橋町文化財保護審議調査委員会編 栗橋町教育委員会 1982)
p125-129「水害で生じた池沼」の項によると、p129に内沼と外沼について上記資料と同内容の記述がある。
p132「栗橋町内の池沼」図によると、31が内沼、32が外沼として大まかな位置がわかる。
その他調査済み資料(関係する記述なし)
『1:25,000地形図 栗橋』(平成9年部分修正測量 国土地理院 1998)
『1:50,000地形図 鴻巣』(昭和57年修正 国土地理院 1983)
『日本全国五万分ノ一地形図 〔3〕 関東・信越地方』(建設省地理調査所編 建設省地理調査所 1951)
『大日本分県地図 明治十四年・大正五年 復刻 地図でみる県の移り変り 2』(昭和礼文社 1990)
『大日本分県地図併地名総覧 昭和十二年 地図でみる県の移り変り 1』(昭和礼文社 1989)
『日本古地図大成』(海野一隆ほか編 講談社 1978)
『日本都道府県地図総鑑』(田中啓爾著 1968)
『栗橋町史資料 1 地誌』(栗橋町教育委員会編 栗橋町教育委員会 2007)
p14「河原代村(新編武蔵風土記稿)」には沼の記述なし。
p63-68「河原代村(武蔵国郡村誌)」のp65「字地」に内沼・外沼の名がみられるが、大きさのみで特に地図はなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『明治前期手書彩色関東実測図』(迅速測図原図覆刻版編集委員会編 日本地図センター 1991)(多色刷 第一軍管地方二万分一迅速測図原図覆刻版)
- 『第一軍管地方迅速測図 二万分一地形図』(参謀本部測量局〔編〕 大日本測量[19--〕)
- 『明治前期関東平野地誌図集成 1880(明治13)年‐1886(明治19)年』(地図資料編纂会編集 柏書房 1989)
- 『日本図誌大系 関東 1』(朝倉書店 1972)
- 『栗橋町史 3 原始・古代・中世』(栗橋町教育委員会編 栗橋町教育委員会 2009)
- 『栗橋町史 民俗2』(栗橋町教育委員会編 栗橋町教育委員会 2010)
- キーワード
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- 栗橋町-沼
- 栗橋町-地図
- 大日本分県地図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000089486