レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年11月26日
- 登録日時
- 2010/11/26 12:51
- 更新日時
- 2010/12/24 14:22
- 管理番号
- 京大文-20101126
- 質問
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解決
『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』中の「政(まつりごと)は三魔(さんま)より出(い)づ」という記述を、京都大学文学研究科図書館所蔵の写本で確認したい。
- 回答
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当館所蔵の写本『臥雲日件録抜尤(ばつゆう)』享徳四年一月六日条に、該当箇所と思われる「盖政出於魔也」という記述がありました。ただし、「政は三魔より出づ」とは異同があります。
翻刻である『大日本古記録』によると、東京大学史料編纂所が所蔵する原本『臥雲日件録抜尤』康正元年正月六日条には「盖政出於三魔也」とありました。
- 回答プロセス
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1.当館所蔵の写本『臥雲日件録抜尤』(当館請求記号:国史 4重1∥中37)の収録範囲を確認する。
当該資料の収録範囲は『京都大学文学部日本史研究室関係日記目録』(当館請求記号:閲覧室R2)52頁の「細目」で確認できる。
そこには「康正2.3.16-」とあり、依頼者のいう「康正元年一月六日条」は所収されていない。
2.康正「元年」とあることから、改元日を確認する。
念のため『東方年表』(当館請求記号:閲覧室R4)で改元月日を確認すると、「康正」への改元は7月25日であり、「康正元年一月」は存在しない。改元前の年号である「享徳」四年一月で写本を確認する。
3.写本を確認する。
確認の結果、「享徳四年一月六日条」に「盖政出於魔也」とあった。「政は三魔より出ず」とは異同があることを添えて、依頼者に紹介する。
4.原本の記述を確認する。
なお、『国史大辞典』(当館請求記号:閲覧室R41)第3巻122頁によると「原日記は散佚し、相国寺光源院の惟高妙安が永禄五年(一五六二)に抄録した『臥雲日件録抜尤』一冊のみが伝わる。抄録の原本は光源院旧蔵、現在は田中穣所蔵(東京大学史料編纂所に寄託)。」とある。
東京大学史料編纂所による『大日本古記録』第21巻(当館請求記号:国文 あ6∥208∥21)「臥雲日件録抜尤」を確認すると、康正元年正月六日条に「盖政出於三魔也」とあった。
- 事前調査事項
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Wikipedeia「有馬持家」項目に、
「将軍足利義成(のち義政)に近侍し、その寵臣となったと言われ、義政の乳母・今参局(御今)および義政の母・日野重子の従弟・烏丸資任とともに義政側近の有力者として知られ、「三魔」と並び称されたという(おいま、からすま、ありまと、「ま」がつく三人)。相国寺の瑞渓周鳳の日記『臥雲日件録』康正元年1月6日(1455年1月23日)条には「政は三魔より出づ」と記されている。」
とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E6%8C%81%E5%AE%B6(2010.11.26確認)
国文学研究資料館「日本古典籍総合目録」で、当館が写本を所蔵していることを確認したとのこと。
- NDC
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- 日記.書簡.紀行 (915 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『京都大学文学部日本史研究室関係日記目録』 藤井譲治・有坂道子編 / 京都大学大学院文学研究科 / 2001
- 『東方年表』 藤島達朗, 野上俊静編/平楽寺書店/1955
- 『國史大辭典』 第3巻/ 国史大辞典編集委員会編/吉川弘文館/1984
- 『臥雲日件録拔尤』 瑞谿周鳳著,惟高妙安抄録,東京大學史料編纂所編纂/ 岩波書店/1961 (大日本古記録 / 東京大學史料編纂所編)
- キーワード
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- 臥雲日件録
- 有馬持家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 回答の公開については、依頼者本人の了承を得ています。
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 国史
- 質問者区分
- 学外者
- 登録番号
- 1000074209