大阪市内にあった遊園地「市岡パラダイス」に関する資料を探した。
(1)『大大阪画報』(大大阪画報社 1928年)には、当時の住所(大阪市港区西市岡町)・電話番号等とともに、面積(12,000坪)や設備(桂座、明光館、文化座、北極館、野外演技場、大温泉、大休憩所、大飛行塔、動物舎、小供遊戯器械)、施設の案内、入場料等が記されている。「西大阪の一大民衆娯楽場にして、市岡土地株式会社の直営」と紹介。大温泉と桂座の写真も掲載(p923-24)。
(2)『明治大正大阪市史』第1巻概説編(日本評論社 1934年)には、大正14年(1925)7月に創立、11,600坪の場内には活動写真館・野外劇場・魔宮殿・動物演技館・北極館(アイススケート場)等がある、と書かれている(p790)。
(3)『港区誌』(大阪市港区創設三十周年記念事業委員会 1956年)には、市岡土地株式会社が土地の借り手を探すめの対策として、パラダイスを計画したとある(p320)。
(4)永瀧五郎著『市岡パラダイス』(講談社 1984年)には、市岡パラダイスで遊んだ思い出が記されている(p30-34)。「1934(昭和9)年の第一室戸台風の高潮で市岡は水につかった。パラダイスは崩壊した」とある。
(5)岡本良一編『写真集 明治大正昭和 大阪』上(国書刊行会 1985年)には、正門入口等の写真が掲載(p92)。「大正14年7月」に「遊園地となり、昭和2年に開業」とある。
(6)橋爪紳也著『なにわの新名所』(東方出版 1997年)の「新しい遊園地市岡パラダイスと楽天地」に、市岡パラダイスの概略と絵葉書が収載。「千人風呂」と称する大浴場が設けられたこと、「郊外型遊園地の先駆けのひとつ」であったことが指摘されている(p28~35)。
(7)『編纂所だより』24号(大阪市史編纂所 2005年)に「絵葉書で見る昔の大阪(3)」として、「市岡パラダイス」の絵葉書(目玉施設であった飛行塔やパラダイス劇場などが写っている)が紹介され、解説文もある(p4)。市岡パラダイス自体は昭和5年(1930)に閉鎖されたとあるが、パラダイス劇場は戦後まで残っていたと記されている。
営業期間が短いため、詳しく記された資料は少ない。