レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005/12/12
- 登録日時
- 2008/11/10 02:10
- 更新日時
- 2008/11/11 20:30
- 管理番号
- 10-3A-200510-01
- 質問
-
未解決
茨木市外 北川診療所について
・昭和18年前後に実在したか
・もし、あったとして、現在のどこにあたるか
- 回答
-
「小林多喜二とその盟友たち」/「極める眼 : 小林多喜二とその時代」 に、多喜二の2年後輩の寺田行雄が、
1943年(昭和18年)4月8日大阪茨木市外の春日村(現茨木市五日市)の北川療養所で結核のため病没したとの記述あり。
ただし、当時の府下の病院や診療所などの名簿にあたるものはない。
結核の診療所である可能性があるとのことなので、昭和12年時の結核患者収容機関を調べるも、それらしい施設は発見できず。
昭和26年時の大阪府下の電話帳にて、現在の茨木市かその近辺と思われる医療機関は
A 茨木市外四箇村組合伝染病院
B 大阪警察病院 茨木分院
の2箇所のみであり、それぞれ「北川診療所」との関連はつかめず。
- 回答プロセス
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質問者より聞き取りした事項
(1)質問者の知人の知人がここで亡くなられたらしい
(2)茨木市外という表現も人伝にきいたもの
(3)結核の療養所かもしれない
(4)当時の電話帳はすでに調査済である
茨木市は当時、三島郡茨木町。ただし、市外とのことなので、周辺の町村も含めて調査する。
(1)当時の府下の病院等の名簿は無し
(2)当館内での所蔵検索。関連すると思われる検索語でためしてみたが、それらしいものは無し。
(3)『大阪市結核予防施設概要』昭和12年 大阪市保健部 oml.0080212050
大阪市域外も含む「結核患者収容機関調」あり(P120~123)。
それによると、大阪市域外の機関は
A 大阪市立刀根山病院(大阪府豊中市大字麻田1番地)
B 自然療養社附属ホーム淡輪療病院(大阪府泉南郡淡輪村4614-2)
C 濱寺石神病院(大阪府泉北郡高石町羽衣585)
D 和泉病院組合(大阪府泉北郡大津町池浦241)
E 財団法人弘済会救療部大阪慈恵病院(大阪府三島郡山田村山田町)
F 大阪女子高等医学専門学校附属病院(大阪府北河内郡守口町大字土居)
G 大阪高等医学専門学校附属病院(大阪府三島郡高槻町大字古曾部350)
H 株式会社互恵会池田支店池田回生病院(大阪府豊能郡池田町1976)
I 堺病院(堺市市之町西2丁目9及10地)
(4)茨木市の市史関係の資料一通りみたが無し。
(5)昭和26年版の電話帳(『大阪府下電話番号簿 職業別』)には高槻局管内に北川というなの医師あり。
(6)同じく『大阪府下電話番号簿 職業別』に
A 茨木市外四箇村組合伝染病院
B 大阪警察病院 茨木分院 あり。
◎2008年11月追加調査
Googleで“北川”ד茨木市外”で検索すると2008年2月20日(水)「しんぶん赤旗」が見つかる。
小林多喜二の2年後輩の寺田行雄が、1943年4月8日大阪府茨木市外の春日村(現茨木市五日市)の北川療養所で結核のため病没したとの記述あり。
出典である「小林多喜二とその盟友たち」を確認すると、p43に同内容あり。
p44に、「戦前この地に「伝染病隔離病棟」があったとの古老の証言が、茨木市立図書館を通じて得られました。その場所は、1948年茨木町と合併した旧春日村五日市地籍と推定されます」との記載されていた。
Googleブック検索で、“北川療養所”で検索すると「極める眼 : 小林多喜二とその時代」 が見つかる。
p232に、「四三年四月八日、大阪茨木市外北川療養所で死去」との記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 9版)
- 参考資料
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『大阪市結核予防施設概要 昭和12年』1938年 大阪市保健部 (当館書誌ID:0080212050)
『大阪府下電話番号簿 昭和26年度』1951年 大阪地方電気通信部 (当館書誌ID:0080222401) - 『小林多喜二とその盟友たち』学習の友社,2007.12 ISBN 978-4-7617-0646-3 (当館書誌ID:0011575943)
- 『極める眼 : 小林多喜二とその時代 』 浜林 正夫/著 東銀座出版社,2004.8 ISBN 4-89469-081-0 (当館書誌ID:0010820439)
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『大阪市結核予防施設概要 昭和12年』1938年 大阪市保健部 (当館書誌ID:0080212050)
- キーワード
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- 大阪府茨木市
- 結核
- 診療所
- 結核患者収容機関
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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結核の療養所であるなら、何かの記録には残っているはずとおもわれますが、当館の資料では見つからず。
茨木郷土史関連の資料に何かヒントになるモノがあるかも知れません。
「茨木市外」というのがそもそも何をさすのか、調査中から現在にいたるまで不明です。
昭和26年の電話帳にて確認した「茨木市外四箇村組合伝染病院」にも「茨木市外」という表現が見られるので、当時特定の地域を指してこの語が使用されていたことは間違いないようです。
ただし、例えば「茨木市外四箇村」がどこの村々をさすのかは地名事典などで調査してもわかりませんでした。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000048826