レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/06/04
- 登録日時
- 2008/09/19 13:09
- 更新日時
- 2008/09/19 13:21
- 管理番号
- 県立足利調-0001
- 質問
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解決
足利の地名の由来を知りたい。
- 回答
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現在、以下七つの説がある。
①アシキキ説
足利の地は、昔から東山道の重要な駅家であったため、足が丈夫でよく走れる使者や、駅夫などが置かれた。このように足のよく利く者が多くいたため、それが地名となったという説
②アシカガミワケ(足鏡別)説
ヤマトタケルノミコトの御子、足鏡別王(アシカガミワケノキミ)がこの地方を治めた(『古事記』より)ことから、アシカガミのミをとって足利になったという説
③カガワケ(鹿我別)説
豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)の五代目の孫である鹿我別命(カガワケノミコト)が治めたので、その名前から出たという説
④アソカガ(麻利)説
昔は足利と安蘇(足利の東隣)を一つにまとめて麻利(アソカガ)といい、「ソ」が「シ」に訛り、なお、足利の漢字をあてはめたという説
⑤カガ(芝草)説
足利の地方が山地で、ここから南方に向かって幾多の河川が流れ、その氾濫によって積もった土砂のために自然の平原を作り、そこに芝草(昔カガといった)が一面に生えていた。さらに、現在の柳原あたり一帯は沼地で、そこに葦なども多く茂っていたためアシカガと呼ぶようになった。
奈良時代はじめ、「諸国の地名には、よい字をつけるがよい」という命令が出たため、アシには足、カガには利の字を入れたという説。
⑥アナカガ説
はじめはカガ説と同じ理由でカガと呼ばれていたが、のちに日本が朝鮮半島へ出るための重要な地域であった阿那伽羅(アナカラ)というところがあり、この地方から大勢進出し、鉄の確保と生産技術獲得のため多くの渡来人や奴婢を伴ってカガに帰ってきた。そんなことから、以前のカガに阿那伽羅のアナをつけアナカガと呼ぶようになった。それがさらに変わって、阿志鹿我(アシカガ)→阿志利→足利となったという説。
⑦金属説
「アシ」は中国東北部(旧満州)方面の言葉で、金属のこと。「カガ」は利息の利のこと。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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「足利の歴史 改訂版 ひらけゆく郷土」
足利教育会『足利の歴史』作制委員会/編、2002
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「足利の歴史 改訂版 ひらけゆく郷土」
- キーワード
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- 足利
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000047466